ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第三章 勘違い 03

 そんな令嬢たちよりも、すぐれない顔色で庭へ出て行く彼女のほうが気になった。リルはじつに人間らしく、働き者で、表情豊かで――見ていて飽きない。
(僕が本当にただの旅人ならよかったのに)
 マレットについた嘘が現実になってほしいと思ういっぽうで、いくら理想を並べたところで現実は変わらない。このままずっとこの森に雲隠れしているわけにはいかないだろう。
 ――母親が自分を捜しているかもしれない。身を案じて捜しているのではなく、ラスウェル公爵令息が、逆賊である先祖と同じ青と金のオッドアイだということを隠すために。
 反逆者と呼ばれた先祖の話を書物で知り、だから母親は自分と目を合わせてくれないのか、とその当時妙に納得したのをいまでも覚えている。
(リルは本当のところ、この瞳をどう思っているんだろう)
 母親からは、反逆者の先祖を彷彿とさせるからという理由で毛嫌いされていたが、それでなくても左右で瞳の色が違うのは奇異だ。気味が悪いと思われても仕方がない。
 他人からどう思われるのかも気にはなるが、いまはリルだ。
 彼女が自分をどう思っているのかが、目下の関心事項。
 理由は明確だ。己がリルに惹かれているから。
 唯一の話し相手だったルアンブル国の第一王子、オーガスタスから聞いたことがある。茶会や舞踏会に暗い色のドレスを着てくる女性はみな未亡人なのだと。だから、リルもまたそうなのだろう。だからリルは年上なのだと思ったが、実際のところはどうなのだろう。
 リルの前の夫はどんな男だったのだろうかと、ごく最近はそれも気にかかる。
(そろそろ戻ろうかな。……いや、早すぎるか)
 まだ一時間ほどしか経過していない。いま戻ったら、リルの兄と鉢合わせしてしまう。そうなってしまっては、ひとり寂しく散歩に出た意味がない。
 大きく息を吸い込む。自分自身を落ち着かせるように長く静かに息を吐き、オーランドは鼻歌を再開して森のなかを進んだ。
 歩きながら天を仰ぐ。空の雲は濃くなるいっぽうだ。
(雨が降るかもしれない)
 雲が晴れる気配は、少しも感じられなかった。


 曇天の今日、こんなふうに壁ぎわで体を覆われてはよけいに視界が悪く――暗くなる。
 リル・マクミランはマレットにあごをつかまれたままなにもできずにいた。
「……俺のこと、名前で呼んでくださいませんか」
 低いかすれ声で言われ、リルは首を傾げる。
(マレット男爵の名前は……たしか)
「え、と……。フランシス、様?」
「様なんて要りません。俺もあなたのことを呼び捨てにする」
 オレンジ色の髪の毛が揺れて近づいてくる。
「リル」
 唇が触れてしまいそうな位置だ。リルは険しい表情を浮かべてじいっと彼の瞳を見つめる。すると、マレットはリルの唇ではなく耳もとへ移ろった。
「彼に、なにかされていませんか」
「……なんのお話なのか、さっぱりわかりません」
 ごまかしてしまったのは「なにか」あったからだ。平然と答えたつもりだが、マレットがどう受け止めたのかは図りかねる。
 彼の頬が首すじに触れた。マレットはリルの肩口に顔をうずめている。
「あのときあなたに想いを伝えていれば――」
「……っ!!」
 ちゅう、と首すじに唇を押し付けられ、リルは身の毛がよだった。
「やっ、やめて!」
 リルが叫ぶのと同時に玄関扉がひらく。ザアッ、と雨音が聞こえた。外が雨だということに気がつく。
「――ああ、やっぱりあなたでしたか」
 あなたの馬車は独特なのですぐにわかりました、と付け加えて、飄々としたようすで家のなかへ入ってきたのは、ずぶ濡れの王子様。にこにことほほえんでいる。
「それで、マレット男爵。今日はどうなさったんですか?」
 マレットが小さく舌打ちをしたのを、リルは見逃さなかった。
「いえ、特に用事はありません。……失礼します」
 オレンジ色の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき乱しながらマレットはオーガスタスとすれ違い、屋敷を出て行った。
 リルはしばらく壁ぎわに立ち尽くしていたが、オーガスタスの髪の毛からぽたぽたと床に滴り落ちる水粒の音でわれに返った。
「あ……。オーガスタス、早く着替えたほうがいいわ」
「――彼となにを話していたの」
 顔はいつもどおりの笑顔。けれど声音はひどく不機嫌そうだった。
「なにって……。その……あなたに、なにかされていないかって、聞かれた」

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