ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第四章 つむいだ時間 02

 しかし少年からの返事はない。
「……どうしたの?」
 少しだけ近づいてみると、少年が苦しそうに咳をしているのがわかった。
「ちょっ、きみ……!」
 小さな体がぐらりと揺らぐ。リルはとっさに駆け出し、少年が草むらのうえに倒れる寸前でなんとか受け止めた。
「きみ、しっかりして……っ」
 震え声で呼びかける。けれどやはり返事はない。とても苦しそうに、ゼイゼイと息をしている。
「――どうかした?」
 リルはバッ、と勢いよく顔を上げてオーガスタスを見つめた。その目にはあせりと困惑の涙が浮かんでいる。
「それが、急に倒れちゃって……! ど、どうしよう」
「うん。リルはそのままこの子を支えていて」
「え、ええ」
 微動だにせず座り込んだまま、少年の体を支え続ける。リルとは対照的にオーガスタスはとても落ち着いていて、脈をはかったり、口や目のなかをのぞいたりしている。
「ここから街の病院へ行くのと、リルの屋敷に戻るのではどちらが近い?」
「ええと……。街のほうが近いと思うけど、ここからじゃ……道がよくわからないわ」
「そう。じゃあひとまず屋敷に戻ろう。ああ、屋敷までの道順は僕も覚えているから、安心して」
 オーガスタスはパチリと片目をつぶってウィンクをしたあと、少年を背負って歩き始めた。走りはしていないものの、大股の早歩きだ。歩幅がせまいリルは小走りでついていく。
「ところで、リルの家にゼンソフィアの抑制薬はある?」
「ごめんなさい、ないわ」
「かまわないよ。それじゃあ――」
 それからオーガスタスはリルの屋敷に貯蔵している薬草の種類をことこまかに聞いてきた。
 そうこうしているあいだに屋敷に到着した。少年はあいかわらず息苦しそうにしている。
「ソファに座らせよう。寝かせるのはよけいによくないから」
 少年の背を下からうえへそっと撫で上げながらオーガスタスは言う。
「じゃあ、ひとまずミンティスのオイルをちょうだい」
「は、はい」
 言われたとおりにアロマ用のオイルであるミンティスの小瓶を薬棚から取り出して彼に渡した。
「ありがとう。それじゃあ次は、ゼンソフィアの薬を調合してくれるかな。あなたがふだん扱っている材料で作ることができるから安心して。コリメウスの葉とケアシンの実、それから――……」
「――っ、ごめんなさい、とても覚えきれない。書きとめさせて」
 薬の材料はたしかに彼が言うとおり、屋敷のなかにすべて取りそろえてあるが、種類が多すぎて一度聞いただけではとても覚えられなかった。息苦しそうにしている少年に対してオーガスタスは街の病院へ連れていくのではなく薬を調合することを選んだ。それはきっと、少年が切迫した状況だからなのだと思う。そう考えると、平常心ではいられない。
(ううん、私があせってどうするの……。薬草の種類は多いけど、調合にはさして時間はかからない)
 リルは深呼吸をして、書き物机から羊皮紙を取り出し、羽根ペンをかまえた。
「あせらなくていいからね、リル」
 オーガスタスは明瞭な発音で、ゆっくりと薬草の名をつむいでいく。
「――この子には僕がついているから、安心してね。大丈夫だから……いつもどおりに、薬を調合して」
「ええ」
 リルは羊皮紙で材料を確認しつつ薬棚から薬草を取り出して、作業台に並べる。
 指先は震えている。しかし分量をはかり間違えるわけにはいかない。リルは両手で薬さじをにぎり、調合作業を進めた。


「――うん、薬が効いたみたいだね」
 少年に調合薬を飲ませてから小一時間が経った。少年はいまだに眠っているが、呼吸は落ち着いている。オーガスタスは彼をベッドへ運び、ゆっくりと寝かせた。
「ん――……」
 すると少年が目を覚ました。ぼうっとしたようすでオーガスタスを見つめている。
「おはよう。気分はどう?」
「う、ん……。平気」
「そう。少し話をしてもいいかな? ああ、そのままでいいから」
 起き上がろうとする少年に向かって手のひらをかざしてオーガスタスは続ける。
「きみが落とした袋のなかには、発作を抑える薬が入っていたんだね?」
 少年は眉尻を下げて静かにうなずく。
「とても高価な薬だから……。失くしたら、たいへんなんだ」

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