ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第四章 つむいだ時間 03

「そうだね。お金はもちろん大事だけど、きみの命あってのことだ。今度またもしそういうことがあったら、すぐに家に戻って家族に言うんだ。いいね? 怒られるかもしれないけど、命には代えられない」
「……はい」
 肩をすくめて返事をする少年の頭を、オーガスタスが撫でる。
「このまま眠るといい。……といっても、きみのおうちのひとが心配するといけないから、ほんの少しだけ、ね」
「うん。……お兄さん、お医者さんなの?」
「いいや……王子様だよ」
 リルは思わず「ぷっ」と息を吹き出した。
「なんで笑うの、リル」
「だ、だって……!」
 少年はオーガスタスが冗談を言ったのだと思ったらしく、首をかしげながら笑っている。
 元気そうな少年のようすにようやく安心して、リルは胸を撫でおろした。


 けっきょく、少年は眠らなかった。
 それから半刻ほど、少年はベッドに仰向けになったままオーガスタスやリルと森の話をして過ごした。
「――うん、脈も安定してるし顔色もいい。もう大丈夫だ」
 ベッドから上半身を起こした少年の背をオーガスタスがぽんっ、と軽くたたく。
「じゃあ僕は、この子を馬で街まで送ってくるよ」
「ええ、いってしゃっらい」
 玄関先で乗馬用のブーツを履いたオーガスタスは、少年とともに裏庭へ向かい、白馬に二人乗りをして街へ駆けて行った。
 リルは振り終えた手をゆっくりとおろす。白馬はもう見えない。
(……昼食の準備をしよう)
 ぱんっ、と両頬を手のひらでたたき、リルは昼食作りを始めた。


 リルが昼食を作り終えるころにオーガスタスは戻ってきた。
 いつものようにふたりで食卓を囲む。
「オーガスタスって、すごいのね」
「え……。なあに、急に。褒めておだてる作戦?」
 オーガスタスはパスタを口に入れる寸前でフォークを止め、目を丸くしている。
「作戦って……なによそれ。べつに深い意味はないわ。ただ純粋に感心したのよ。冷静で……本物のお医者様みたいだった。本当、王子様にはぜんぜん見えない」
「いちおう医者のライセンスは持ってるよ。……屋敷で、受検できたから」
 オーガスタスが目を泳がせるのをリルは見落とす。
「そうなの?」
 微笑していたリルの口角が、しだいに下がっていく。
「私だって……薬剤師の公的なライセンスを持っているのよ。ゼンソフィアの発作を抑える薬の作り方だって、きちんと学んでいたんだけど……。情けないわ、気が動転して、まったく思い出せなかった……」
 ふだんは、健康を増進する補助的な薬しか作らない。リルは「ふう」とため息をついて、フォークにパスタを絡める。
「まあ、そう落ち込まないで。結果的にはちゃんと作ることができたんだし。あの子もそれで助かったんだ。……じつは、あと少し薬の完成が遅れていたら危なかった」
「ええっ!?」
「がんばったね、リル」
 向かいから伸びてきた手が頭を撫でる。そのまま黒髪の一束を指に絡められた。
「……も、もう。子どもじゃないのよ、私。頭なんて撫でないで」
「そう? リルは子どもっぽいところがあるって、僕は思ってるんだけど」
「それは私のせりふよ」
「ええ? 僕のどこが子どもだっていうんだ?」
「全部よ、ぜんぶ」
「……じゃあ、子どもじゃないってところを証明しないとね? リルの体を使って」
 野菜のクリームパスタに向けていた視線をオーガスタスに移す。上目遣いでこちらを見つめてくる彼には情欲がにじんでいる。
「ば……っ、ばかなこと、言わないで」
「僕はいつだって大真面目だよ。……ああ、リルの手料理はどうしてこんなに美味しいんだろうね」
 幸せそうにほほえんで、ぱくぱくと料理を口に運ぶオーガスタスを、リルは直視することができなかった。

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