ひきこもり令嬢は囚われの貴公子に溺愛される 《 第五章 捜索と決別 01

 オーガスタスがいなくなった翌日はリルの心の中を映したような曇り空だった。空は真っ黒な雲に覆い尽くされている。いまにも雨粒が落ちてきそうだ。
 ――オーガスタスは国に帰ったのだろう。
 イルニアというのは誰だろう。もしかしたら、彼の婚約者かもしれない。一国の王子なのだ。そういう女性がいてもおかしくない。
 リルは黒い空を見上げるのをやめ、真っ白な白馬のたてがみをそっと撫でた。
 昨日、彼が出ていったときは見送ることもできなかった。急いでドレスを着て外へ出たが、すでに彼の姿は影も形もなかった。
 彼とつむいだ時間が、ぐるぐると頭のなかをめぐる。屋敷のどこにいてみも、裏庭のどこを見まわしても、オーガスタスとの思い出ばかりがよみがえる。
「……あなたも、置いていかれちゃったね」
 もの言わぬ白馬に向かって語りかけ、しかしすぐに自分自身を否定する。
(やだ、私ったら。あなたもって、なによ。私はべつに置いていかれたわけじゃない。ずっとここに住んでるんだから……)
 オーガスタスがいなくなって、もとの一人暮らしに戻っただけ、それだけだ。
 ヒヒン、と小さな声で白馬が鳴いた。なぐさめられているような気分になるのは、彼がいなくなって傷ついているということの裏返しだ。
 リルはぶんぶんと思いきり首を横に振り、屋敷のなかへ戻った。
(こういうときは占いに限る)
 書き物机に向かい、椅子に腰を落ち着かせて占いのカードを広げる。
 気を紛らわすために始めた占いだというのに、やはり頭のなかはオーガスタスのことばかりだった。
 彼はいいひとだった。
 占いを妄信して行動するリルにとことん付き合ってくれた。もし彼が悪い男だったら、純潔はもっと早い段階でなんの同意もなく散らされていたかもしれない。
 愛されていると――思っていた。
 そんなふうに抱かれていた。たとえそれが勘違いでも、気持ちがよかったし幸せだった。
(私……これからどうすればいいんだろう)
 これまで通り森で暮らすか、否か。占いに問う。
 彼の笑顔が頭のなかにこびりついて離れない。きっと時間が経てば忘れる。
 忘れるのを待つか、否か。占いで導く。
 熱い唇と舌の感触はいまでもありありと思い出せる。きっとこれも、時間が経ったら――……いや、忘れたくない。
「……っ」
 カードをまさぐるリルの手がぴたりと止まった。そしてその次の瞬間には、色とりどりのカードが勢いよく宙を舞った。リルがカードを両手で机から払いのけたのだ。
 床に落ちていくカードには目もくれずリルはガタンッと大きな音を響かせて立ち上がる。
(占いに問うまでもないわ!)
 ルアンブルの王子が、欲しい。
 今度は体液が目的ではない。
 己の欲に忠実で、ときには家事や農作業をして、褒美をよこせと理由をつけて情熱的に求めてくる彼を心身ともに欲している。
 どうすれば彼を手に入れられるのか、考えながら身支度をする。
 一国の王子を、正当に手に入れるにはどうすればよいのか。
(……いまの私は)
 森にひとりで住み、薬を売って生計を立てる、変わり者の公爵令嬢。
 令嬢と呼べる年齢ではないかもしれない。年増だが、マクミラン公爵家に勘当されているわけではない。隣国の王子に求婚できる立場にはあると思う。
 リルは人生で初めて、自分が公爵令嬢だということに喜んだ。考えてみれば本当に贅沢で、姑息だ。
 私利私欲のために家名を利用しようとしている。
 いままで家のためにはひとつも働いてこなかった。社交の場にはほとんど顔を出さず、家の財をつぶして森に家を建てる始末だ。本当に親不孝者だと思う。
(それでも、オーガスタスと一緒にいたい)
 マクミラン家のためになることならなんでもしたい。できることなど、限られているとは思うが。
 とにかくいまはオーガスタスだ。彼に求婚したところで、はねのけられるかもしれない。この見た目だ。それでも、なにかせずにはいられない。
(髪は染めれば、さほど目立たない)
 自分を偽るのはいやだ、などと言っている場合ではない。彼とともに過ごせる可能性が少しでも高くなるように努めたい。

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