言いなりオフィス・ラヴ 《 03

 中村が仁美の営業部にやって来て一週間が経ち、仁美は彼の歓迎会をするべく居酒屋に来ていた。課のなかで女性は仁美だけだから、先日の埋め合わせも兼ねて仲がいい経理部の女性たちも呼んでいる。

「アレ、中村くん……。もう来ちゃったの? まだ当分、みんなそろわないよ」

「仕事がひと段落したから、早めに来たんだ。俺、遅れて来るのはどうも好きじゃないから。柚子川さんもそうでしょ?」

「うん、そうだね。私は待つのも待たせるのも嫌い」

 中村は靴を脱いで座敷に上がって来て、入口のそばに座っていた仁美の隣に腰をおろした。

「ちょっとお、主任はもっと上座でしょ」

「主任って言っても、この課には来たばっかりの新人だからいいんだよ。それに俺、まだみんなのことよく知らないし。柚子川さんが助けてよ」

「えー? 中村くんってそんなに人見知りだったっけ」

「少なくとも柚子川さんよりはね」

 悪戯っぽく笑い、中村はポケットから携帯電話を取り出してテーブルに置いた。それを見た仁美は嬉々として口を開く。

「あっ、一緒だ! 同じの持ってる人、あんまりいないから嬉しい」

 仁美はバッグに入れていた携帯電話を手に取り中村に見せた。中村も嬉しそうに顔をほころばせる。

「ホントだ。スマホカバーまで同じ。このデザインのよさをわかってるひとが身近にいるなんて思わなかった」

「だよね! 大抵の人に『うわっ、悪趣味』って言われちゃうんだよね」

 そうしてふたりで笑っていると、

「あら? まだふたりだけなの?」

 鬼篠係長を引き連れた高松さんが顔を出した。係長は飲み会にはいつもギリギリなのに、今夜は高松さんのおかげで早いようだ。

「よし、じゃあさっそく飲みはじめるかー」

 鬼篠はさっさと座敷に上がり込んで、メニュー表を手に取ってうきうきとした表情を浮かべて眺めている。それをすかさず高松が奪い取る。

「楓くん、なに言ってるの。いくらなんでも早すぎよ。あるていど人数がそろってからにして」

「はーい」と間延びした返事をしてしょんぼりとこうべを垂れている鬼篠はふだん仕事をしているときとは別人のようだ。

(高松さん、係長のこと名前で呼んでるんだ)

 あとでからかっちゃおう、とわるだくみをしつつ、仁美はふたりのほほえましいやり取りを見ていた。
 それから少ししてから続々と課のみんながそろった。仁美はコホンと咳払いをする。

「みなさん、お集まりいただきありがとうございます。そして中村主任、第一営業課へようこそ! 経理部のみなさん、むさ苦しい営業課の飲み会に来て下さって本当にありがたいです! 中村主任にはデロンデロンの状態で挨拶してもらいたいと思いますので、まずは かんぱーい!」

 クスクスという笑い声はしだいに大きな笑い声になって、宴会は楽しく過ぎていった。


 歓迎会、二次会、三次会が終わって帰宅したのは未明に近い深夜だった。

(あー、飲みすぎた……。う、ウォッカがキテる……)

 胸もとをさすりながらノロノロとした足取りでタクシーを降りてマンションへ入る。自室の鍵を開けてなかに入ると、トゥルルル、と聞き慣れない着信音がした。
 慌ててバッグを開けると、鳴っているのは仁美の携帯電話だった。もしかして酔った勢いで着信音を変えちゃったっけ、などと考えながら電話にでる。

「もしもしー?」

『あ、やっぱり……。俺のケータイ、柚子川さんが持ってるんだね』

「ええー?」

 あらためて画面を見ると、自分の名前が表示されている。

(これ……、もしかしなくても中村くんのケータイだ)

 酔っ払って着信音を変えたわけではなかったようだ。

『柚子川さん、ケータイないと困るよね? 届けようか』

「んー、私は明日でも大丈夫だよ。中村くんがよければ」

『そう言ってもらえると助かる。今日はけっこう飲みすぎちゃって、正直しんどいんだよね』

「ハハ、私もだよ。もうヘトヘト」

『それじゃ、きみのケータイは責任を持ってお預かりします。また明日、会社でね。おやすみ、柚子川さん』

「うん、今日は本当にお疲れ様でした。おやすみなさい」

 仁美は電話を切ったあと、もし携帯電話の中身を見られたら――、と一瞬だけ危惧した。けれど彼はそんな野暮なことをするひとではないはずだ。
 仁美は「うん、きっと大丈夫」とひとりごとをつぶやき、取り違えてしまった携帯電話をバッグにしまった。

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