言いなりオフィス・ラヴ 《 04

 歓迎会の翌朝、けだるい身体にムチを打っていつも通りの時間に家を出た。飲み会の翌日だからといっていつもより遅く行くのはなんだかカッコ悪いから、したくない。
 職場に着くと、いつかのように先に中村がいて、仁美は慌てて彼のデスクに駆け寄った。

「おはよう! ごめん、もしかしてケータイのこと気にして早めに来てくれたの?」

「おはよ。俺もついさっき来たばっかりだから平気だよ。ハイ、これ」

 中村は椅子から立ち上がり、携帯電話を差し出した。仁美は「ありがとう」と言ってそれを受け取ろうとつかむ。けれど、どれだけ強く引っ張っても、手のなかに収めることができなかった。

「……中村くん? あの」

「柚子川さん、課長とずいぶん仲がいいみたいだね」

 背筋に悪寒が走った。彼はいつものように爽やかにほほえんでいるけれど、携帯電話を持つ手はかたくなに動かない。

「え、そうかな? 普通だよ、普通」

「へえ。妻帯者と裸で抱き合って股間を突き合わせることが普通なんだ?」

 ドクンドクンと心臓の音がうるさく響く。見られたんだ、携帯電話の中身を。仁美は力まかせに自身のスマートフォンを引っ張り、奪うように胸もとに収めた。

「……見たの? そんなことするひとだとは思わなかった」

「ごめんね、期待を裏切っちゃって。パスコードがかかってなかったから、つい。そういう柚子川さんは見てないの? 俺のスマホ」

「そんな悪趣味なこと、しないわよ!」

 仁美は投げるように彼の携帯電話を渡した。中村は表情を変えずにそれを受け取る。

「柚子川さんは真面目なんだね。それなのに……、倫理観は欠如してる」

 嘲笑しながら中村はこちらを見おろしている。真面目なのは彼のほうだと思っていたのに、倫理観をどうこう言われて腹が立ってしかたがない。怒っているからか心拍数は上がったままで、なんだか頭が痛い。痛いのはきっと二日酔いのせいだけではない。

「……その、このことはみんなには」

「うん、黙っててあげる。不倫なんていけないことだもんね。だからいますぐ別れなよ」

「なんで中村くんにそんなこと言われなきゃいけないの。私は、大輔さんのこと本気で……」

「あっそう。じゃ、ふたりのエッチな写真が社内のどのパソコンからも見られるようになっちゃうけど、いいの?」

「は……? なに言ってるの、そんなこと」

「俺、バックアップは常に取っておくタイプなんだよね。たとえそれが他人のデータでも。うっかり社内の共有フォルダに入れないよう、気をつけないとな」

 中村はジャケットの内ポケットから黒いフラッシュメモリーを取り出して仁美の眼前に振り子のようにチラつかせている。
 どう考えても脅されている。こうなったら口先だけでも、彼とは別れると言うべきなのだろうか。

「わかった、課長とは別れる。彼に迷惑かけたくないし。だから、そのデータはいますぐ消して」

「さすが柚子川さん、ものわかりがいいね。じゃあ、ブラウスのボタンを外してブラジャーをまくってくれる?」

 仁美は目を丸くした。彼がなにを言っているのかすぐには理解できなくて、呆然としていた。

「アレ、聞こえなかった? きみのオッパイを見せてって言ったんだよ」

「そっ、そんなのできないに決まってるでしょ」

「あー……。やっぱりウッカリ共有フォルダに放り込んじゃうかも」

「っ、そんなムチャクチャな……っ! それ、よこしなさいよ!」

 フラッシュメモリー奪おうと手を伸ばしたら、子どもから玩具を取り上げるようにすかして中村はそれをふたたびジャケットの内ポケットに入れた。それから課長のデスクに両手をついて浅く腰かけ脚を組んだ。

「柚子川さん、早くしないと誰かが出勤してきちゃうよ」

「……本気なの?」

「俺が冗談を言ってるように見える? ホラ早くして」

 あごを引いて上目づかいで見すえられると、ふだんの彼とは別人のように威圧的だった。

(言う通りにしなかったら、本当にバラ撒かれる)

 仁美は唇を噛み締め、ブラウスのボタンを外してなかの下着をまくり上げた。彼の射るような視線がチクチクと刺さっているみたいで、とてもじゃないけれどいたたまれなかった。

「乳首をつまんで。両手でね」

「……っ」

 仁美が指示通りにしたのと同時に、カシャッと音がした。驚いて顔を上げると、中村は自身の携帯電話を仁美に向けていた。

「撮られるの、好きなんでしょ? いっぱい撮っておいてあげるよ」

「止めて……、撮らないでっ」

「声が震えてるね。そんなに恥ずかしいの?」

 中村は馬鹿にするようにクスクスと笑っている。仁美は唇を一文字に結んだままうつむいた。

(中村くんが、こんなに最低な奴だったなんて……!)

 わなわなと唇を震わせて羞恥に耐え忍ぶ。早く終わって、と願いながら。しかし彼はまだ終わらせる気がないらしく、

「じゃ、次は『私の乳首を触って』って言ってもらおうかな」

「もういいでしょ? そろそろ本当にみんなが出勤してくる」

「うん、大変だね。きみのオッパイ、みんなに見られちゃう。だから早く言って」

 仁美は胃のあたりが重くなるのを感じながら、この男にはなにを言っても無駄なのだと諦めた。そして彼の願いのままにつぶやく。

「私の乳首、触って……」

 言うやいなや、仁美の手のうえから押さえ込むようにグニャリと両の乳房をわしづかみされて、先端を指のあいだで挟まれた。

「っゃ、だ……っ! なにするのっ……、っぅ!」

「きみが言ったんじゃないか。触ってって」

「それは、中村くんが……っ。ん、く」

 両手を押さえられたまま乳房を揉み込まれていて、どんなに力を入れても彼の手を払うことができなかった。乳頭は彼の指のあいだでクニクニと転がされている。

「顔、真っ赤だよ。もしかして感じてる?」

「ち、ちが……っ! ぅ、ふっ!」

「そんな声を出されちゃうと、まいるなあ」

 中村はそう言いながら急に両手を離して、仁美から距離を取った。

「誰か来たみたいだよ、柚子川さん」

 仁美はいっきに青ざめて、ブラジャーをもとの位置に戻してブラウスのボタンを止めた。フッ、と笑うような声がしたので中村のほうを見やる。

「ボタン、かけ違えてる。直してあげようか」

「……っ、結構よ!」

 正しくかけ直したすぐあとに、べつの課の社員が部屋へ入って来た。胸を撫でおろし、いまだにうるさく鳴っている心臓を落ち着かせようと息を吐く。

「まだ興奮が冷めやらないようだね」

 すれ違いざまに小声でささやかれ、反論しようと口を開きかけたが、中村はさっさと自分のデスクに戻って書類のチェックをはじめたため、仁美は彼を一瞥するだけに留まった。

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