気がつくと真っ暗な部屋にいた。身体の自由は効くから、縛られてはいないが裸のままだ。かけ布団から出てあたりを見渡すと、リビングのほうから明かりが射していた。
そっと寝室の扉を開けると、すぐにこちらに気がついたらしく、仁美の服を手に持った中村が歩いて来た。
「身体、大丈夫? ちょっとやり過ぎちゃったかなと思って反省してたんだけど」
「……大丈夫、一応。でも少し、痛い。下半身が」
仁美は服を受け取って扉を閉めた。乾燥機にでもかけてあったのか、ほんのりと温かいショーツを履く。
「ごめんね。お詫びに奢るから、どこか食べに行こう」
扉越しに話しかけられ、仁美はブラジャーのホックを留めながら「三つ星ね」と答えた。
中村の黒いセダンは高速道路を走っていた。会社では着ているのを見たことがない上等な生地のスーツをしげしげと眺めながら仁美は彼に話しかける。
「中村くん、ずいぶんといいスーツを着てるけど……。本当に三つ星に連れてってくれるの?」
「ご要望通りに致しますよ、お姫様」
「やだ……。私、仕事着のままなのに」
「じゃあ途中で買おうか。選んであげるよ。仁美よりは俺のほうがセンスいいと思うし」
「はぁ!? 私の服の趣味が悪いって言いたいの?」
中村は正面を向いたまま意味ありげにほほえむばかりだった。仁美は頬をふくらませ、
「そこまで言うからには、もちろん買ってくれるのよね!」
語気を強めて投げやりにそう言い、陽が沈んだばかりの焼けた西の空を眺めた。
中村の行きつけだというアパレルショップはメンズだけでなくレディースも扱っているとのことで、仁美は彼に続いて店に入った。
隠れ家のような店先は間口よりも奥行きが広く、あたたかみのあるフローリングと照明は落ち着いた雰囲気をかもし出している。
「俺のオススメはコレ」
「……冗談でしょ? そんなの恥ずかしくて着られないよ」
中村が持って来た服は胸もとが大きく開いた春色のワンピースで、ドレスとまではいかないが三つ星レストランにはふさわしいと思われるものだった。
「大真面目だよ。靴やアクセサリーは店員さんに見つくろってもらおう。すみません、これに合うものをお願いします」
「ちょっと、勝手に決めないでったら」
店員の女性は中村と顔見知りらしく「可愛らしい彼女さんですね」などというデタラメな勘違いをしてワンピースに合った小物やカーディガンを次々と並べている。
「これなんていかがですか? キュートなお客様にすごくお似合いですよ」
「いいですね、これ全部ください。すぐに着るので札を切っていただいて、それから試着室をお借りしてもいいですか?」
映画のワンシーン並みのスマートさで強引に進められ、仁美はフィッティングルームに押し込められた。
(こんなに身体のラインが出る服、絶対に似合わない)
そうは思えど、ふだんは選ぶことのないデザインの服はやはり新鮮だ。身につけてみると、さほどおかしくはなかった。
「うん、よく似合ってる」
「っ、勝手にカーテン開けないでよ! まだ着てなかったらどうするつもりだったの」
中村はひとの話をまるで聞いていないようすで、連行するように仁美の手首をつかみ店員に会釈をしてスタスタと店を出た。
「なんでそんなに急いでるのよ」
「レストランは予約してあるんだ。時間に遅れたらマズイでしょ」
「それは、まあ」
時間に正確なのは自負していることだから、仕事でなくても時間通りに行動したい。中村もそれは同じらしい。
彼に案内されたレストランは雑誌にも載るような有名フレンチだった。街を歩くにはドレッシーすぎる服もこの店では浮いていない。ウェイターにしたがって店の奥へ歩いていく。
「あれ、課長……?」
足を止めた中村の視線の先を見て、仁美は棒立ちになった。途端に心臓が激しく脈打ちはじめる。
「中村くん……。と、柚子川くんも。奇遇だね、こんなところで」
夜景が見える窓ぎわの席には課長と、その家族がいた。はじめて見る課長の奥さんはとても美しいひとで、同性から見ても妖艶だった。小学生のお嬢さんは奥さんに似てとても可愛らしい。
中村は課長の奥さんに向かって社交辞令な挨拶をしている。中村に目配せされ、仁美も慌てて頭を下げた。
「ご家族でお楽しみのところ、お邪魔してしまって申しわけございません。それでは、失礼します」
仁美は中村に合わせてあいまいに笑った。それから、待たせてしまっていたウェイターにしたがって奥の席についた。
「びっくりしたね、まさかここで課長に会うなんて。今日は課長のお嬢さんの誕生日だったんだねえ」
「……本当に偶然なの?」
仁美は笑顔を崩さないまま中村に問いかけた。彼の思惑通りにことが運んでいるんじゃないかと疑ってしまう。
「俺が図ったとでも言いたいの? 仮にそうだとして、俺になんのメリットがあるのかな」
「私に……、わからせたかったんでしょ。彼には大切な家族がいるってことを」
「課長も奥さんも、お子さんも……、みんな幸せそうだったね」
仁美はうつむいた。わかっているつもりだったのに、ぜんぜん違った。自分はひどく汚らわしい女なのだと、いまあらためて痛感した。
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そっと寝室の扉を開けると、すぐにこちらに気がついたらしく、仁美の服を手に持った中村が歩いて来た。
「身体、大丈夫? ちょっとやり過ぎちゃったかなと思って反省してたんだけど」
「……大丈夫、一応。でも少し、痛い。下半身が」
仁美は服を受け取って扉を閉めた。乾燥機にでもかけてあったのか、ほんのりと温かいショーツを履く。
「ごめんね。お詫びに奢るから、どこか食べに行こう」
扉越しに話しかけられ、仁美はブラジャーのホックを留めながら「三つ星ね」と答えた。
中村の黒いセダンは高速道路を走っていた。会社では着ているのを見たことがない上等な生地のスーツをしげしげと眺めながら仁美は彼に話しかける。
「中村くん、ずいぶんといいスーツを着てるけど……。本当に三つ星に連れてってくれるの?」
「ご要望通りに致しますよ、お姫様」
「やだ……。私、仕事着のままなのに」
「じゃあ途中で買おうか。選んであげるよ。仁美よりは俺のほうがセンスいいと思うし」
「はぁ!? 私の服の趣味が悪いって言いたいの?」
中村は正面を向いたまま意味ありげにほほえむばかりだった。仁美は頬をふくらませ、
「そこまで言うからには、もちろん買ってくれるのよね!」
語気を強めて投げやりにそう言い、陽が沈んだばかりの焼けた西の空を眺めた。
中村の行きつけだというアパレルショップはメンズだけでなくレディースも扱っているとのことで、仁美は彼に続いて店に入った。
隠れ家のような店先は間口よりも奥行きが広く、あたたかみのあるフローリングと照明は落ち着いた雰囲気をかもし出している。
「俺のオススメはコレ」
「……冗談でしょ? そんなの恥ずかしくて着られないよ」
中村が持って来た服は胸もとが大きく開いた春色のワンピースで、ドレスとまではいかないが三つ星レストランにはふさわしいと思われるものだった。
「大真面目だよ。靴やアクセサリーは店員さんに見つくろってもらおう。すみません、これに合うものをお願いします」
「ちょっと、勝手に決めないでったら」
店員の女性は中村と顔見知りらしく「可愛らしい彼女さんですね」などというデタラメな勘違いをしてワンピースに合った小物やカーディガンを次々と並べている。
「これなんていかがですか? キュートなお客様にすごくお似合いですよ」
「いいですね、これ全部ください。すぐに着るので札を切っていただいて、それから試着室をお借りしてもいいですか?」
映画のワンシーン並みのスマートさで強引に進められ、仁美はフィッティングルームに押し込められた。
(こんなに身体のラインが出る服、絶対に似合わない)
そうは思えど、ふだんは選ぶことのないデザインの服はやはり新鮮だ。身につけてみると、さほどおかしくはなかった。
「うん、よく似合ってる」
「っ、勝手にカーテン開けないでよ! まだ着てなかったらどうするつもりだったの」
中村はひとの話をまるで聞いていないようすで、連行するように仁美の手首をつかみ店員に会釈をしてスタスタと店を出た。
「なんでそんなに急いでるのよ」
「レストランは予約してあるんだ。時間に遅れたらマズイでしょ」
「それは、まあ」
時間に正確なのは自負していることだから、仕事でなくても時間通りに行動したい。中村もそれは同じらしい。
彼に案内されたレストランは雑誌にも載るような有名フレンチだった。街を歩くにはドレッシーすぎる服もこの店では浮いていない。ウェイターにしたがって店の奥へ歩いていく。
「あれ、課長……?」
足を止めた中村の視線の先を見て、仁美は棒立ちになった。途端に心臓が激しく脈打ちはじめる。
「中村くん……。と、柚子川くんも。奇遇だね、こんなところで」
夜景が見える窓ぎわの席には課長と、その家族がいた。はじめて見る課長の奥さんはとても美しいひとで、同性から見ても妖艶だった。小学生のお嬢さんは奥さんに似てとても可愛らしい。
中村は課長の奥さんに向かって社交辞令な挨拶をしている。中村に目配せされ、仁美も慌てて頭を下げた。
「ご家族でお楽しみのところ、お邪魔してしまって申しわけございません。それでは、失礼します」
仁美は中村に合わせてあいまいに笑った。それから、待たせてしまっていたウェイターにしたがって奥の席についた。
「びっくりしたね、まさかここで課長に会うなんて。今日は課長のお嬢さんの誕生日だったんだねえ」
「……本当に偶然なの?」
仁美は笑顔を崩さないまま中村に問いかけた。彼の思惑通りにことが運んでいるんじゃないかと疑ってしまう。
「俺が図ったとでも言いたいの? 仮にそうだとして、俺になんのメリットがあるのかな」
「私に……、わからせたかったんでしょ。彼には大切な家族がいるってことを」
「課長も奥さんも、お子さんも……、みんな幸せそうだったね」
仁美はうつむいた。わかっているつもりだったのに、ぜんぜん違った。自分はひどく汚らわしい女なのだと、いまあらためて痛感した。