いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第一章 03

(あ、れ……なんだろう。いま、されると……なんだかすごく恥ずかしい)
 アリシアは引っ込めた右手をどうしたらよいのかわからず、手持ち無沙汰にうつむいていた。
 いっぽうのフィースは何食わぬ顔でオレンジティーをすすっている。
「――で、話ってなに?」
「あ、うん。秘密の花園に、一緒に行ってもらいたくて」
「秘密の花園って、ノマーク神話の二巻に出てくるところ?」
「そう! 具体的な場所を突き止めたの。明日、どう?」
「んー……」
 フィースの表情は浮かない。
「なにか用事がある?」
「いや、ないけど……」
「じゃあ、決まりねっ」
「いや、待ってアリシア」
 アリシアは強引に話題を変える。
「ねえフィース、疲れてるでしょ。肩を揉んであげる」
「……いい、けっこうだ」
「遠慮しないで、ね? 私、けっこう上手いのよ。いつもお父様の肩を揉まされているから」
 フィースがオレンジティーを飲み終わるのを待ってからアリシアは彼の背をグイグイと強引に押してうしろを向かせた。両肩に手を乗せて揉み始める。
「……あんまり凝ってないわね」
「まあ、そりゃ……机上で仕事をすることがあまりないから。というか、そういうのは肩が凝るから嫌いだ」
「ふふ、フィースは本当、体を動かすのが好きよね」
 ああ、久しぶりにマトモに会話ができている。
 アリシアは顔をほころばせて、あまり凝っていない肩を揉みほぐしていく。
(肩幅……こんなに広かったかしら)
 そんなことをぼんやりと考えながら両手を動かす。
(……なんだか、眠くなってきちゃった)
 しかしまだ、彼に触れていたいと思った。
 アリシアはしだいにウトウトと舟を漕ぎ、とうとうまぶたを閉じて、フィースの広い背中に突っ伏した。


 あたたかな衝動が背に走る。
「……アリシア?」
 背中に体を預けられ、これはいったいどういうことだろうと考えを巡らせる。
(アリシア、もしかして――)
 俺に甘えているのだろうか。
 ここのところどうも、彼女とふたりきりになると理性的でいられない。自分を抑えるあまり、そっけない態度をとってしまう。
「――アリシア、俺は……っ」
 意を決して振り返るのと同時に彼女の体がグラリと揺らいだ。
「……っ!」
 あわてて抱きとめる。あやうくソファから落っこちてしまうところだった。
(いや、まあ……。こんなことだろうと思ったけど)
 穏やかな顔でスヤスヤと寝息を立てている可愛らしい姫君をそっと抱きかかえ、ベッドへ運ぶ。
 掛け布団をかけようとしていたフィースだが、急にピタリと動きを止めた。
(……少しくらい見ていてもいいよな)
 いやらしい目でアリシアを見ている自覚はあるが、彼女はいま寝ているしこの部屋にはほかに誰もいないのだから人目を気にする必要はない。
 フィースはアリシアのすべてを視線で舐めまわした。
 彼女は昔から可憐だったが、最近は以前にも増して魅力的になった。体つきが女性として成熟してきたせいだ。
 ゆっくりと上下する胸もとに注視する。仰向けになっていても、そこの主張は決して弱くない。
(あまりここばかり見ているのはよくないな)
 下半身が起きてしまわぬよう、フィースはアリシアの胸から顔へと視線を移した。
 髪の色は彼女の母親である王妃のそれだが、面立ちはどちらかというと国王陛下に似ている。
 あまり陽に焼けていない白い肌は透明感があって、しかし病弱という印象は受けない。はつらつとしていて張りがあり、みずみずしい。
「……っ」
 気がつけばアリシアの顔を間近で凝視していた。フィースはシーツの上に片手をついて自身を支え、もう片方の手で彼女の薄桃色の前髪をそっと撫で上げて額をあらわにし、そこへ口づけた。
 フィースが唇で触れても、アリシアはなんの反応も示さなかった。寝ているのだから当たり前だ。
 続けて、頬にキスを落とす。頬にはたいして肉はついていないのに、もちもちとしていて柔らかい。
「………」
 ぷっくりとしたアリシアの唇を指でなぞる。上唇の端から下唇の端までを、ぐるぐると何度も撫でたどった。
 きっと彼女は起きやしない。眠りはとても深いように見受けられる。
 いまここでアリシアの唇を奪っても、誰にもわからないし咎められない――。
 フィースが上体を低くする。ギシッ、とベッドがわずかにきしんだ。
 ……――いや、だめだ。
 フィースはアリシアに寄せた顔を、なけなしの理性で引きはがした。
 いたいけで純朴な彼女の、おそらく初めての口づけをむやみに奪ってはいけないし、またそれだけで終わる自信がない。
 きっと、あらゆるところを貪り尽くしたくなってしまう。
(……長居は無用だ。不埒な行動を起こす前に退散しよう)
 婚約者でもなんでもないのだから、自分との仲を誤解されたらアリシアが困ることになる。
 彼女の専属侍従であるルアンドにも、ことあるごとに釘を刺されている。
 『第一王女であるアリシアは然るべき相手と結婚する』と――。
 ルアンドにそう言われるたびに腹がたつ。ただ、いまいち実感がない。
 アリシアは本当に純真無垢で無防備で、そういったことにはまったく興味がなさそうだ。
 それに、シュバルツ国の女性は貴族平民を問わず20歳を過ぎてから結婚するのが慣例だ。アリシアにはまだ先のことだ。まだあと2年あるとみるか、2年しかないとみるかは人それぞれだと思うが、いまのところ彼女に婚約者の類はいない。
 だからひとまず、悪い虫がつかないように見守っていきたい。
(……いや、悪い虫は俺なのか?)
 フィースの父は外交官で、現国王陛下とは大変仲の良い友人関係にあった。
 親同士の交流が盛んだったため、国王の子どもであるアリシアとも自然と接する機会が多くなった。フィースはアリシアのことを赤ん坊のころから知っている。
 妹のような存在だと思っていた時期もあるが、いまはそれとは違う感情を彼女に抱いている――。

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