「ええと……」
閉架書庫で得た情報をもとにアリシアは道案内をする。
街はずれの川にさしかかったときだった。
「……やけに増水してるな」
フィースは橋の手前で馬を止めた。
「秘密の花園はこの川の向こうよ」
「うーん……。確かこのあたりには橋はここだけだ。ひとつしかない。おそらく上流ではかなり雨が降ってる。このまま川の水が増えていったら、もしかしたら渡れなくなるかも」
「えー? 大丈夫よ、行きましょう」
根拠もなくそう断言してアリシアはフィースに橋を渡るよううながした。
しぶしぶといったようすでフィースは馬を進める。橋は馬が通ると、ギシギシといやな音を立てた。
この橋を抜ければ、目的地まではあと少しだ――。
郊外の、特にこれといって特産のない小さな町のさらにはずれに、ノマーク神話の聖地はあった。
そこが神話に描かれている場所だと広く知られているわけではないようなので、観光客はいない。そもそも町のひとがここを神話の舞台として認知しているのかも怪しいところだ。
「……思っていたよりも陰鬱なところだ」
近くの木に馬をつなぎながらフィースがポツリと言った。
「そうね……。ひと気がないからかしら」
空が曇天なのと、木々に囲まれていて薄暗いせいで、よけいにそう感じるのかもしれない。
「ええと……秘密の花園はこの洞窟の先だから、厳密にいうとまだ目的地に着いてないわ」
羊皮紙を見ながらアリシアは木々の先を指差す。洞窟というよりは、三方向を岩に囲まれた狭い通路だ。馬では通れそうにない。
「そうか。よし、行ってみよう」
心なしかフィースの語調は明るい。
(ふふ……。楽しんでくれてるみたい)
自分自身がそうしたいと思って行動し、フィースには付き合ってもらっているわけだが、彼も元来こういう冒険じみたことが大好きなのだ。
日々あわただしい騎士団業務の息抜きになれば、と思う。
岩に囲まれた狭路をふたり並んで歩く。岩壁には無数のツルが這っていた。
「長いこと誰も足を踏み入れていないようだな」
奥へ進むにつれてツルはひときわうっそうと生い茂っていた。湿潤な環境を好む種類の植物なのだろう。岩の天井からズラリと垂れ下がり、行く手を阻んでいる。
「アリシア、少し下がってて」
うん、と返事をして数歩下がる。
フィースは革ベルトで腰に固定していた短剣を鞘から抜いて手に持った。先へ進むのに邪魔なツルを鋭利な刃で豪快になぎ払っていく。
そうしてどんどん奥へと進む。ツルをなぎ払うと、その先には明かりがちらほらと見え始めた。この洞窟は行き止まりではなく、どこかしらへ抜けているらしい。
しだいにまぶしくなってきた。薄暗闇にようやく目が慣れたところだったので、よけいにそう感じるのだと思う。
「……――!」
声もなく感嘆する。ひらけた視界いっぱいに広がる、色とりどりの花々がふたりを華々しく迎えた。
なにかおめでたいことがあったわけでもないのに、祝福されているような気がしてくる。
高い岩壁に囲まれたそこはまさしく秘められた花園で、神話にある通りの情景だ。もしいま晴れていたならば、真上から降り注ぐ太陽光がさぞ神秘的に花たちを照らしたことだろう。
「――綺麗だ」
となりから聞こえてきた、フィースの実直な言葉にアリシアはコクコクと何度もうなずいて同意した。
「すごい、すごいっ!」
アリシアは小さな子どものようにはしゃいで駆け出す。しゃがんで両手をつき、咲き誇る花に鼻先を寄せた。清涼感のある良い香りが全身を包む。
いくら深呼吸をしても足りない。アリシアはあちらこちらとせわしなく移動して、花の多様な香りを楽しんだ。
花が咲いているのは地面だけではなかった。岩壁にも、多種多様なツル性の植物がそこここに這い、花を咲かせている。とくに目を引くのは蔓薔薇だ。
「珍しい色の薔薇ね……」
「ああ……。こんな色のものは初めて見た」
フィースはアリシアのとなりに立って腕組みをした。ふたり並んで、萌黄色の薔薇を見つめる。
(あ……そうだ。この薔薇、キャサリンへのお土産にしよう)
彼女はよく萌黄色のドレスを着ているし、髪飾りやハンカチーフもそろいの色を好んで持っているようだった。
アリシアが蔓薔薇に手を伸ばす。
「――ん? 摘むのか?」
「うん、少しだけ。キャサリンへのお土産にしようと思って」
「それなら、ちょっと待ってて」
フィースはふたたび短剣を取り出し、適当なところでプチプチとツルを切った。剣の切っ先で器用に薔薇のトゲを除いていく。
「はい、どうぞ」
萌黄色の薔薇を数本、手渡される。
「ありがとう! ……んん、いい匂い」
すうっと香りを吸い込む。すると、突如として風が吹き抜けた。薄桃色の長い髪がヒラヒラと揺れる。
「わ、すごい風だったね」
きょろきょろとあたりを見まわす。上から吹き込んできたのだろうか。
「え、吹いた? 風なんて」
「うん、すごかったじゃない。びゅううって」
アリシアは口をとがらせて風のすさまじさを表現した。
「そっか。びゅううって、ね」
フィースは片方の腕を組み、もういっぽうの手で口もとを押さえてクスクスと笑っている。
なにがおもしろいのかわからず、首をかしげて彼を見上げていると、
「あ、いや……。きみの口が尖ってるのが可愛くて。ねえ、もういっかい言って。どんなふうに風が吹いたって?」
「……いっ、言わない」
子どもっぽいと思われているのが恥ずかしい。アリシアはぷいっと顔をそむけてフィースに背を向け、ふたたび天を仰いだ。
「……黒い雲が増えてきたわね」
前 へ
目 次
次 へ
閉架書庫で得た情報をもとにアリシアは道案内をする。
街はずれの川にさしかかったときだった。
「……やけに増水してるな」
フィースは橋の手前で馬を止めた。
「秘密の花園はこの川の向こうよ」
「うーん……。確かこのあたりには橋はここだけだ。ひとつしかない。おそらく上流ではかなり雨が降ってる。このまま川の水が増えていったら、もしかしたら渡れなくなるかも」
「えー? 大丈夫よ、行きましょう」
根拠もなくそう断言してアリシアはフィースに橋を渡るよううながした。
しぶしぶといったようすでフィースは馬を進める。橋は馬が通ると、ギシギシといやな音を立てた。
この橋を抜ければ、目的地まではあと少しだ――。
郊外の、特にこれといって特産のない小さな町のさらにはずれに、ノマーク神話の聖地はあった。
そこが神話に描かれている場所だと広く知られているわけではないようなので、観光客はいない。そもそも町のひとがここを神話の舞台として認知しているのかも怪しいところだ。
「……思っていたよりも陰鬱なところだ」
近くの木に馬をつなぎながらフィースがポツリと言った。
「そうね……。ひと気がないからかしら」
空が曇天なのと、木々に囲まれていて薄暗いせいで、よけいにそう感じるのかもしれない。
「ええと……秘密の花園はこの洞窟の先だから、厳密にいうとまだ目的地に着いてないわ」
羊皮紙を見ながらアリシアは木々の先を指差す。洞窟というよりは、三方向を岩に囲まれた狭い通路だ。馬では通れそうにない。
「そうか。よし、行ってみよう」
心なしかフィースの語調は明るい。
(ふふ……。楽しんでくれてるみたい)
自分自身がそうしたいと思って行動し、フィースには付き合ってもらっているわけだが、彼も元来こういう冒険じみたことが大好きなのだ。
日々あわただしい騎士団業務の息抜きになれば、と思う。
岩に囲まれた狭路をふたり並んで歩く。岩壁には無数のツルが這っていた。
「長いこと誰も足を踏み入れていないようだな」
奥へ進むにつれてツルはひときわうっそうと生い茂っていた。湿潤な環境を好む種類の植物なのだろう。岩の天井からズラリと垂れ下がり、行く手を阻んでいる。
「アリシア、少し下がってて」
うん、と返事をして数歩下がる。
フィースは革ベルトで腰に固定していた短剣を鞘から抜いて手に持った。先へ進むのに邪魔なツルを鋭利な刃で豪快になぎ払っていく。
そうしてどんどん奥へと進む。ツルをなぎ払うと、その先には明かりがちらほらと見え始めた。この洞窟は行き止まりではなく、どこかしらへ抜けているらしい。
しだいにまぶしくなってきた。薄暗闇にようやく目が慣れたところだったので、よけいにそう感じるのだと思う。
「……――!」
声もなく感嘆する。ひらけた視界いっぱいに広がる、色とりどりの花々がふたりを華々しく迎えた。
なにかおめでたいことがあったわけでもないのに、祝福されているような気がしてくる。
高い岩壁に囲まれたそこはまさしく秘められた花園で、神話にある通りの情景だ。もしいま晴れていたならば、真上から降り注ぐ太陽光がさぞ神秘的に花たちを照らしたことだろう。
「――綺麗だ」
となりから聞こえてきた、フィースの実直な言葉にアリシアはコクコクと何度もうなずいて同意した。
「すごい、すごいっ!」
アリシアは小さな子どものようにはしゃいで駆け出す。しゃがんで両手をつき、咲き誇る花に鼻先を寄せた。清涼感のある良い香りが全身を包む。
いくら深呼吸をしても足りない。アリシアはあちらこちらとせわしなく移動して、花の多様な香りを楽しんだ。
花が咲いているのは地面だけではなかった。岩壁にも、多種多様なツル性の植物がそこここに這い、花を咲かせている。とくに目を引くのは蔓薔薇だ。
「珍しい色の薔薇ね……」
「ああ……。こんな色のものは初めて見た」
フィースはアリシアのとなりに立って腕組みをした。ふたり並んで、萌黄色の薔薇を見つめる。
(あ……そうだ。この薔薇、キャサリンへのお土産にしよう)
彼女はよく萌黄色のドレスを着ているし、髪飾りやハンカチーフもそろいの色を好んで持っているようだった。
アリシアが蔓薔薇に手を伸ばす。
「――ん? 摘むのか?」
「うん、少しだけ。キャサリンへのお土産にしようと思って」
「それなら、ちょっと待ってて」
フィースはふたたび短剣を取り出し、適当なところでプチプチとツルを切った。剣の切っ先で器用に薔薇のトゲを除いていく。
「はい、どうぞ」
萌黄色の薔薇を数本、手渡される。
「ありがとう! ……んん、いい匂い」
すうっと香りを吸い込む。すると、突如として風が吹き抜けた。薄桃色の長い髪がヒラヒラと揺れる。
「わ、すごい風だったね」
きょろきょろとあたりを見まわす。上から吹き込んできたのだろうか。
「え、吹いた? 風なんて」
「うん、すごかったじゃない。びゅううって」
アリシアは口をとがらせて風のすさまじさを表現した。
「そっか。びゅううって、ね」
フィースは片方の腕を組み、もういっぽうの手で口もとを押さえてクスクスと笑っている。
なにがおもしろいのかわからず、首をかしげて彼を見上げていると、
「あ、いや……。きみの口が尖ってるのが可愛くて。ねえ、もういっかい言って。どんなふうに風が吹いたって?」
「……いっ、言わない」
子どもっぽいと思われているのが恥ずかしい。アリシアはぷいっと顔をそむけてフィースに背を向け、ふたたび天を仰いだ。
「……黒い雲が増えてきたわね」