いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第二章 01

 秘密の花園を訪ね、川の橋が流され雨に降られたことで王城に戻れなくなり、町の宿屋で一夜を明かした翌朝は、昨日の雨が嘘のように晴れていた。
 早朝に宿屋を出発したアリシアとフィースはひとまずアッカーソン侯爵邸へ向かった。
 フィースはアリシアをともなって王城へのぼるわけにはいかなかった。
 なにせ朝帰りなのだ。したがって、フィースの実家であるアッカーソン侯爵邸でアリシアを待機させ、彼女が城を抜け出すさい、まわりに告げていた嘘の目的地――キャサリンの屋敷へ使いを出して、ともに城へ行ってもらうという算段だった。

「――あ……っ、キャサリン!」
 フィースが操る馬でアッカーソン侯爵邸へ戻ったアリシアは、裏門の前に立っていたキャサリンを見つけて声を張り上げた。
 フィースの手を借りて馬を降り、キャサリンと向かいあう。
「――姫様! よかった、ご無事で……」
 キャサリンは安心しきったようにホッと息をつき、懐中時計をドレスの隠しポケットにしまった。
「ルアンドが私の屋敷を訪ねてきたんです。昨日の夕方と、それからつい先ほど、二回も。姫様は一緒かとしつこく聞かれて、『私の屋敷にいる』と彼には言ったのですが――」
 つい嘘をついてしまい、しかしアリシアの所在が気になったキャサリンは昨日の夕方、アッカーソン侯爵家の家令にアリシアがフィースとともに出掛けていることを確認していた。
 しかし朝になってもアリシアが戻っていないことをルアンドが訪ねてきたことで知り、侯爵家の家令からもふたりがまだ戻らないと聞いて、ここでアリシアたちの帰りを待っていたのだという。
 アリシアはキャサリンの冷えきった手を両の手のひらで包み込んで謝る。
「キャサリン、ごめんなさい……! 私、あなたの家へ泊まりに行くって嘘をついて、それで――」
「ええ、ルアンドには一応うまく言っておきました。……でもたぶん、バレてると思いますが」
 眉尻を下げて、困り顔でほほえむ彼女の顔色はあまりよくない。いったいどれくらいの時間、ここでこうして待っていてくれたのだろう。
 アリシアは何度も「ごめんなさい」と口にして、そして後悔した。むやみに城を抜け出すべきではないし、まして嘘はよけいにいけない。ひとつの嘘が自他ともに嘘を呼ぶ。まわりに迷惑ばかりかけてしまう。
 目に見えて落ち込むアリシアをフィースはかたわらで見つめていた。
「――キャサリン。朝食、まだだろ? よかったら屋敷で食べて行って」
 目にうっすらと涙を浮かべているアリシアの頭をポンッと軽く叩きながらフィースが言った。
 キャサリンはしばし逡巡したあと、「ではお言葉に甘えて」と答え、アリシアの肩に手を添え彼女と一緒に屋敷のなかへ入った。


 アッカーソン侯爵邸で朝食をとったアリシアはキャサリンとともに王城へ戻った。
 案の定というか、ルアンドにはこっぴどく叱られ、父と母――国王と王妃にもクドクドと説教をされ、アリシアは反省しきって公務に励んだ。
 夕方、ようやく暇をもらえたアリシアはフラフラとした足取りで城の廊下を歩いていた。
「――アリシア」
 そんな彼女を、フィースが物陰から呼び止めた。
「フィース! どうしたの? こんなところで」
 フィースはまわりをうかがいながら話し始める。
「いま、ひとり?」
「ええ……。今後は絶対に無断で城を出ないって何度も誓わされて……。いままでどおりひとりで歩かせてもらえるようになったの」
 ルアンドはアリシアに四六時中、見張りをつけるべきだと父に進言していたが、アリシアは父の肩をいままでの十倍は時間をかけて揉むと密約を交わしてなんとか回避した。
 城の警備は外敵に関しては厳重だ。みずから城の外へ出ないかぎりは安全だと、父も考えているのだと思う。
「――そっか。ごめん、俺のせいで……。ずいぶん叱られたんだろ」
「フィースのせいなんかじゃないよ! 私が、いけなかったの」
「………」
 フィースはしばらく黙ってアリシアを見つめていた。
「……フィース? どうかした?」
「あ、いや……。アリシア、いま少しいいかな。母さんに、城に来てもらってるんだ。きみの診察を頼んだ」
「……っ、そう! そうだったわ」
 過酷な説教と、積み重なった公務に追われてすっかり忘れていたのだが、昨夜の『体調不良』はまだだれにも相談していない。他言しづらいというのもあるし、それに――。
 昨夜、フィースは言っていた。彼との『あれ』はふたりだけの秘密なのだと。
「……っ」
 昨夜の記憶が――感覚が、にわかによみがえり頬が熱くなる。
「アリシア?」
「……う、うん」
「奥の応接室にいるから。俺の母さん」
 アリシアは声もなくうなずいて、フィースのうしろをぎこちなく歩いた。


 廊下の突き当たりにある応接室にはフィースの母親で、医者でもあるクレア・アッカーソンの姿があった。
 診察の途中で城へ来たらしく、白衣のままソファに腰掛けている。
「クレア!」
 アリシアは彼女の名を呼びながらソファに駆け寄り、隣に腰をおろした。
 クレアは脚を組み直してほほえむ。
「久しぶりね、アリシア」
「本当ね、クレア。いつ振りだろう。……ごめんなさい、忙しいのにわざわざ来てもらって」
「いいのよ、気にしないで。あなたは娘みたいなものなんだから。それに、ほかの患者の診察はジェラルドに任せてきたから大丈夫」
「そうなの?」
 アリシアはあいづちを打ち、ジェラルドの顔を思い浮かべた。最近はまったく顔を合わせていないので、幼いころの彼しか知らない。
 フィースの父親であるフレデリック・アッカーソンは侯爵位と伯爵位のふたつを所有している。クレアはアッカーソン侯爵夫人でありながらノースヴェイン地方の伯爵領で医者をしている。ジェラルドというのは、彼女の二番目の息子――フィースの弟のことだ。彼はアリシアよりもひとつだけ年上の19歳だが、国内最年少で医者の免状を取得した優秀な青年である。
「ジェラルドは元気にしている?」
「ええ、あいかわらずよ。真面目が過ぎるくらいで、逆に困っちゃうわ」

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