いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第二章 02

 クレアの返答に、アリシアは「ふふ」とあいまいにほほえんだ。
 ジェラルドとは歳は近いがあまり話したことがない。彼はとても物静かで、外で遊びまわるほうが好きだったアリシアやフィースとは対照的だった。屋敷にこもって本ばかり読んでいた印象だ。
 アリシアにも弟がいるのだが、彼はジェラルドとよく似ていて部屋に閉じこもりがちだった。フィースの弟と、それからアリシアの弟。どちらかというと彼らのほうが気が合っているように思える。
「――世間話はそれくらいにしておいたら」
 立ったまま腕を組んで壁にもたれかかっていたフィースが言った。
「そうね。アリシアは公務が忙しいものね。……フィースからだいたいの症状は聞いているけれど、いまいちわからないのよね。この子、説明がすごくあいまいで」
 クレアはジトッとフィースを見つめる。視線を突きつけられたほうのフィースは、気まずそうに顔をそむけた。
 クレアは目を細めていぶかしんだあと、アリシアに向き直った。
「なんでも、体が……下半身が熱くなるんですって? それに、瞳の色が変わるのだとか」
「う、うん、そうなの……。瞳のことは、自分ではわからないんだけど、萌黄色になってしまうらしいの。体のほうは、その……」
 ああ、どう伝えればよいのだろう。なんとなく、恥ずかしいことなのではないかという自覚があるので、話しづらい。
「思ったままを言っていいのよ、アリシア」
「う……、ええと……。こ、ココが、湿ってきて……それから――」
 アリシアはありのままをクレアに話した。うん、うんとうなずきながらクレアはアリシアをうまくしゃべらせる。
「――それで、その症状は一晩中、続いたの?」
「いいえ、治ったわ」
「どうやって? 自然と?」
「え……っと、それは……」
 言いよどむアリシアの顔をクレアがのぞき込む。
「……なあに? 包み隠さずなんでも話して」
「……っえ、えと」
 クレアから目を逸らし、チラリと壁際を見やる。フィースは口もとを押さえ、なんとも言えない表情をしている。
 そんなふたりのアイコンタクトをクレアは見逃さない。
「フィースに口止めされてるのね? だめよ、きちんと話して。そうじゃなきゃ、治るものも治らない」
 さすがフィースの母親というべきか、もともと敏いからなのか、彼女には隠し事などできそうにない。
(フィース、ごめんなさい……!)
 アリシアは心のなかでフィースに謝りながら、クレアに洗いざらい白状した。
 すべてを話し終えると、それだけでどうしてかすっきりした。
「……――そうだったの」
 ふむ、といったようすでクレアはあごに手を当てた。顔面を手のひらで覆ってうなだれているフィースをジロリとにらむ。
 アリシアはオロオロとふたりのようすをうかがう。
 フィースはあいかわらず顔を手のひらで覆っている。どことなく恥ずかしそうだ。
「あ、あの……クレア。私、どうなっちゃったのかしら」
「うーん……。現段階ではなんとも言えないわね。でも、もちろん手は尽くすわ。医師連盟に、そういう症例がないか問い合わせてみる」
「そう……」
 アリシアが小さな声で「よろしくお願いします」と言うと、クレアはそっと彼女の肩に手を乗せた。
 アリシアはおずおずとクレアを見つめ返す。
「ねえ、あの……」
「うん? なあに」
「……も、もしまたその症状が出たら、私はどうすればいいの……?」
 とにかく不安だった。クレアとはめったに顔をあわせることができないし、ほかの医者には聞けないので、いまのうちにできうるかぎり不安の種をのぞいておきたい。
 クレアはアリシアを見つめて微笑したまま言う。
「どうしてもおさまらないときは、またフィースに頼むといいわ。ほかの男はだめよ、絶対に」
 クレアの視線がフィースに向く。その目つきはいつになくするどい。
「フィース、わかってるでしょうね? くれぐれも医学的な対処だけをするのよ」
「わっ、わかってる……っ」
 銀色の髪の毛をガシガシとかきながらフィースが答えた。彼の頬は心なしか赤い。
 息子のようすを険しい表情でしばし観察したあと、
「アリシア、ほかに聞いておきたいことは?」
 クレアはもとの笑顔に戻って、アリシアにそう尋ねた。
「ええと……、うん。いまのところは大丈夫」
「そう。じゃあ……私は王立図書館へ行くけど、あなたたちはどうする?」
「いっ、一緒に行く!」
 ちょうど、キャサリンのようすを見に行こうと思っていたところだった。体調を崩していないとよいのだが――。
「……俺も行く」
 まだどこか気まずそうなようすで、フィースはポツリと言った。


 三人は応接室を出て王立図書館へ向かった。閉館時間まであと少ししかないので、早足で廊下を歩く。
 王立図書館は城の敷地内にあるが独立していて、円筒形にドームを冠した古めかしい建物だ。
 ふだんは閉架書庫の書物ばかり漁っているので、円筒形の本館へは久方ぶりに立ち入る。
 なかへ入ると、カウンターの奥にキャサリンが座っていた。
「あら、皆様おそろいで」
 キャサリンが立ち上がる。アリシアはそそくさと彼女のもとへ駆けた。
「キャサリン、体調はどう?」
「えっ? 元気ですよ。なんともありません」
「そう……。よかった」
 アッカーソン侯爵邸の裏門では肌寒いなかを長時間、待たせてしまったので、彼女の体調が気掛かりだった。
「……でも、もし具合が悪くなったらいつでも言ってね! 私、キャサリンの代わりに頑張るから」
「ふふ、姫様がカウンターにいてくださるのですか? 何時間も図書館に缶詰ですよ?」
 キャサリンはアリシアがジッとしていられない性格――外遊びが好きなのを知っている。
「う、うん……。大丈夫、きっと頑張れる」
 両手にこぶしを作って意気込んでみせると、キャサリンは口もとを押さえてクスクスと笑った。彼女の視線がふとカウンターに向く。

前 へ    目 次    次 へ