「あ、そういえば……。姫様から今朝いただいた薔薇も、すごく元気ですよ」
秘密の花園で摘み、キャサリンへの手土産にした萌黄色の薔薇は華奢な透明の花瓶に生けられ、カウンターの上に飾ってあった。
「本当? それはよかった――」
萌黄色の薔薇を見つめる。すると、前に感じたのと同じ風を感じた。
「……――!?」
図書館の窓は閉まっている。あおぎでもしなければ、風など吹くはずがないのだが――。
『やっっほぉぉぉ~っ♪』
アリシアはあんぐりと口を開け、しばし呆然とした。
目の前――カウンターの中空に、なにかがいる。
「え……なあに、いまの声は。フィース?」
クレアがフィースを振り返る。
「まさか。俺はなにも言ってないよ」
ふるふると首を振り、フィースはあたりを見まわした。
「えっ、あの、みんな……? どうして気にならないの?」
アリシアはカウンターの上をフワフワと漂っているそれ――クマに蝶の羽が生えたような不思議な生き物を指さした。パタパタと羽ばたいてキャサリンの前をゆらゆらと飛んでいる。
「姫様? なんでしょうか」
「いえ、キャサリンじゃなくて……コレよ、コレ」
『むむっ、コレとは失敬な! 僕にはアドニスっていう崇高かつ気品にあふれた優美な名前があるんだからねっ!』
「わっ、またしゃべった」
『ひとを珍獣みたいに言わないでよね! 僕は花の精、アドニス様なんだから』
「花の精……? クマの幽霊じゃなくて?」
『クマぁ……!? ヤだな、あんな低俗な生き物と一緒にしないでよね』
「ちょっと、いまのは聞き捨てならないわね。熊は賢くて可愛いわよ」
突然クレアが口を挟んだ。しかし彼女はあさってのほうを向いて憤然としている。やはりこの――自称、花の精アドニスの姿は自分にしか見えていない。声だけは、ほかの皆にも聞こえているようだが。
「アリシア、そこになにかいるのね?」
クレアに訊かれ、アリシアはコクコクとうなずいた。
「うん。みんなには見えてないみたいね――」
アリシアはアドニスの容姿を説明する。
「ええと、クマのような姿をしているんだけど蝶の羽が生えてて……全身が萌黄色ね。頭には小さな薔薇の冠が載ってる。瞳は、まあ……つぶらかしら」
『かしら――じゃなくて、つぶらな可愛いらしい瞳だよ! ちゃんと伝えてくれなくちゃ困るよぉ』
アドニスは手足をバタバタと動かして息巻いている。なんとも騒がしい生き物だ。
「それにしても、どうして私にだけ見えるのかしら……」
『なぁんだ……そんなの、答えは簡単だよ! 僕がきみに取・り・憑・い・て・る・か・ら♪ いやぁ、ヒトに憑くのはいつ振りだろう』
アリシアは目を丸くしてアドニスを見つめた。言いたいことが――文句がありすぎて、なにから言葉にすればよいのかわからず口をパクパクさせていると、
「もしかして、アリシアの体調不良はあなたのせい?」
クレアが指摘した。アリシアは頭をコクンコクンと縦に振り「そう、まずはそれ!」という意思を示す。
『そうだよぉぉん♪ アリシアの副交感神経にちょっとイタズラしてる!』
アドニスは悪びれたようすもなく言った。クレアが言及する。
「なぜそんなことをするの? 迷惑だからやめてちょうだい。あと、アリシアに憑くのもご遠慮願いたいわ。アリシア、気味が悪いでしょう? こんな性悪に憑かれて」
「え、えと……」
『もうっ、さっきから失礼だね、あなた! 美人だけど、ひどい毒舌だ』
「なんとでも。とにかくいますぐアリシアのなかから出て行って」
『ヤぁぁだよ~。探してもらいたいひとがいるんだ。そのひとを見つけてくれたら、話はべつだけど』
「ふうん……。初めからそれが目的で、アリシアに憑いて彼女を困らせているのね?」
『~~~♪』
アドニスはそ知らぬ顔で口笛を吹いている。いや、正確には口で「ひゅぅ」と言っているだけだ。口笛が吹けないのだろう。
(ええと……)
頭のなかを整理しながらアドニスに尋ねる。
「あなたの探しているひとっていうのは、人間? それとも、あなたと同じように――」
『妖精だよ! とってもキュートで、きみやそこの金髪毒舌さんよりももっと素敵なんだ!』
「そう、なの……。でも、妖精なら……ほかのひとには見えないのよね?」
『そうだね。きみにはいま僕が憑いてるから、見える。だからきみには探せる。むしろきみにしか探せないよ、アリシア』
アドニスはアリシアのまわりをぐるぐると飛びまわっている。
「……アリシアはこの国の姫なの。妖精探しなんてしてる暇はないわ。ほかを当たってちょうだい」
クレアが静かな声音で告げた。アドニスはすぐに反論する。
『ええっ、イヤだよ~! 僕はアリシアのこと、けっこう気に入ってるんだから。たとえお願いされたって、金髪毒舌さんには憑かないよ!』
「なっ、私だって願いさげよ!」
クレアのこめかみには青筋が立っている。
「ク、クレア……。落ち着いて」
「え、ええ……。ごめんなさい、つい。それにしても腹の立つ物言いをするわね、この妖精とやらは」
『ふ、ふぅぅん! と・に・か・く♪ 僕の愛しいひとが見つかるまで、アリシアのなかに居座るしイタズラも続けちゃうよっ』
ああ、きっとこの口調がクレアを苛立たせるのだろう。
「アリシア! 性悪妖精はどのあたりにいるの?」
ひっつかまえてやるわ、と付け加えてクレアは眉間にシワを寄せている。
「こ、ここに……。あっ、違う、こっち! ああ、今度はこっち……。もう……っ! ブンブン飛びまわってて、つかまえられない」
『ブンブンっていうのは語弊があるね、アリシア。優雅にヒラヒラと、だよ! それに僕には実体がないから、つかめやしないよ。だから、あ・き・ら・め・て♪』
その場にいた全員が「ふう」とため息をついた。
一貫して静かに事の顛末を見守っていたフィースが口をひらく。
「結論としては、その妖精の願いを叶えるしかないみたいだな」
「そうですね……」
キャサリンが同調してうなずく。
アリシアはクレアに視線だけで確認を取る。
「……癪だけど、しかたがないわね」
いかにもしぶしぶ、クレアも首を縦に振った。
前 へ
目 次
次 へ
秘密の花園で摘み、キャサリンへの手土産にした萌黄色の薔薇は華奢な透明の花瓶に生けられ、カウンターの上に飾ってあった。
「本当? それはよかった――」
萌黄色の薔薇を見つめる。すると、前に感じたのと同じ風を感じた。
「……――!?」
図書館の窓は閉まっている。あおぎでもしなければ、風など吹くはずがないのだが――。
『やっっほぉぉぉ~っ♪』
アリシアはあんぐりと口を開け、しばし呆然とした。
目の前――カウンターの中空に、なにかがいる。
「え……なあに、いまの声は。フィース?」
クレアがフィースを振り返る。
「まさか。俺はなにも言ってないよ」
ふるふると首を振り、フィースはあたりを見まわした。
「えっ、あの、みんな……? どうして気にならないの?」
アリシアはカウンターの上をフワフワと漂っているそれ――クマに蝶の羽が生えたような不思議な生き物を指さした。パタパタと羽ばたいてキャサリンの前をゆらゆらと飛んでいる。
「姫様? なんでしょうか」
「いえ、キャサリンじゃなくて……コレよ、コレ」
『むむっ、コレとは失敬な! 僕にはアドニスっていう崇高かつ気品にあふれた優美な名前があるんだからねっ!』
「わっ、またしゃべった」
『ひとを珍獣みたいに言わないでよね! 僕は花の精、アドニス様なんだから』
「花の精……? クマの幽霊じゃなくて?」
『クマぁ……!? ヤだな、あんな低俗な生き物と一緒にしないでよね』
「ちょっと、いまのは聞き捨てならないわね。熊は賢くて可愛いわよ」
突然クレアが口を挟んだ。しかし彼女はあさってのほうを向いて憤然としている。やはりこの――自称、花の精アドニスの姿は自分にしか見えていない。声だけは、ほかの皆にも聞こえているようだが。
「アリシア、そこになにかいるのね?」
クレアに訊かれ、アリシアはコクコクとうなずいた。
「うん。みんなには見えてないみたいね――」
アリシアはアドニスの容姿を説明する。
「ええと、クマのような姿をしているんだけど蝶の羽が生えてて……全身が萌黄色ね。頭には小さな薔薇の冠が載ってる。瞳は、まあ……つぶらかしら」
『かしら――じゃなくて、つぶらな可愛いらしい瞳だよ! ちゃんと伝えてくれなくちゃ困るよぉ』
アドニスは手足をバタバタと動かして息巻いている。なんとも騒がしい生き物だ。
「それにしても、どうして私にだけ見えるのかしら……」
『なぁんだ……そんなの、答えは簡単だよ! 僕がきみに取・り・憑・い・て・る・か・ら♪ いやぁ、ヒトに憑くのはいつ振りだろう』
アリシアは目を丸くしてアドニスを見つめた。言いたいことが――文句がありすぎて、なにから言葉にすればよいのかわからず口をパクパクさせていると、
「もしかして、アリシアの体調不良はあなたのせい?」
クレアが指摘した。アリシアは頭をコクンコクンと縦に振り「そう、まずはそれ!」という意思を示す。
『そうだよぉぉん♪ アリシアの副交感神経にちょっとイタズラしてる!』
アドニスは悪びれたようすもなく言った。クレアが言及する。
「なぜそんなことをするの? 迷惑だからやめてちょうだい。あと、アリシアに憑くのもご遠慮願いたいわ。アリシア、気味が悪いでしょう? こんな性悪に憑かれて」
「え、えと……」
『もうっ、さっきから失礼だね、あなた! 美人だけど、ひどい毒舌だ』
「なんとでも。とにかくいますぐアリシアのなかから出て行って」
『ヤぁぁだよ~。探してもらいたいひとがいるんだ。そのひとを見つけてくれたら、話はべつだけど』
「ふうん……。初めからそれが目的で、アリシアに憑いて彼女を困らせているのね?」
『~~~♪』
アドニスはそ知らぬ顔で口笛を吹いている。いや、正確には口で「ひゅぅ」と言っているだけだ。口笛が吹けないのだろう。
(ええと……)
頭のなかを整理しながらアドニスに尋ねる。
「あなたの探しているひとっていうのは、人間? それとも、あなたと同じように――」
『妖精だよ! とってもキュートで、きみやそこの金髪毒舌さんよりももっと素敵なんだ!』
「そう、なの……。でも、妖精なら……ほかのひとには見えないのよね?」
『そうだね。きみにはいま僕が憑いてるから、見える。だからきみには探せる。むしろきみにしか探せないよ、アリシア』
アドニスはアリシアのまわりをぐるぐると飛びまわっている。
「……アリシアはこの国の姫なの。妖精探しなんてしてる暇はないわ。ほかを当たってちょうだい」
クレアが静かな声音で告げた。アドニスはすぐに反論する。
『ええっ、イヤだよ~! 僕はアリシアのこと、けっこう気に入ってるんだから。たとえお願いされたって、金髪毒舌さんには憑かないよ!』
「なっ、私だって願いさげよ!」
クレアのこめかみには青筋が立っている。
「ク、クレア……。落ち着いて」
「え、ええ……。ごめんなさい、つい。それにしても腹の立つ物言いをするわね、この妖精とやらは」
『ふ、ふぅぅん! と・に・か・く♪ 僕の愛しいひとが見つかるまで、アリシアのなかに居座るしイタズラも続けちゃうよっ』
ああ、きっとこの口調がクレアを苛立たせるのだろう。
「アリシア! 性悪妖精はどのあたりにいるの?」
ひっつかまえてやるわ、と付け加えてクレアは眉間にシワを寄せている。
「こ、ここに……。あっ、違う、こっち! ああ、今度はこっち……。もう……っ! ブンブン飛びまわってて、つかまえられない」
『ブンブンっていうのは語弊があるね、アリシア。優雅にヒラヒラと、だよ! それに僕には実体がないから、つかめやしないよ。だから、あ・き・ら・め・て♪』
その場にいた全員が「ふう」とため息をついた。
一貫して静かに事の顛末を見守っていたフィースが口をひらく。
「結論としては、その妖精の願いを叶えるしかないみたいだな」
「そうですね……」
キャサリンが同調してうなずく。
アリシアはクレアに視線だけで確認を取る。
「……癪だけど、しかたがないわね」
いかにもしぶしぶ、クレアも首を縦に振った。