いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第二章 05

「……ふぅ」
 その日の夜、アリシアは大きなため息をついて寝室のベッドに横たわった。
 母の――王妃チェリーの私室へ向かっている途中でルアンドに見つかってしまったのだ。じつは休憩は一時間だけの約束だった。すっかり忘れていたのだが、休憩のあとにはダンスのレッスンを予定していた。
 ルアンドに捕まったアリシアは、夕食の時間になるまでミッチリ踊らされたというわけだ。おかげでいまはもうヘトヘトだ。
『お姫様ってけっこう大変なんだねぇ。もっとのんびりダラダラ過ごしてるのかと思ってたよ』
 横たわるアリシアのとなりにアドニスが寝そべる。彼は人や物に触れることができないので、寝そべるポーズをしていることになる。
「まあね……。私がもっと器用だったら、こんなに疲れはしないのだろうけど」
 しかし苦手なものは苦手だ。ダンスのワルツを聞いていると眠くなるのも一因かもしれない。ああ、思い出しただけでまぶたが重くなってきた。
『もう寝る? アリシア』
「うん……」
 眠気に負けて目を閉じる。
(クレアは無事にお母様に会えたかしら……)
 フィースはいまごろなにをしているだろう。きっとまだ仕事だ。
(……会いたい)
 昨夜はずっと一緒にいたからか、いまがとても寂しい。
『おやすみ、アリシア。よい夢を――……どうか、きみの愛しいひとの夢を』
 静かな寝息を立て始めたアリシアにアドニスの声は届かない。
 いたずら好きの妖精はクルリと一回転をしたあと、煙が消えるときのようにすうっと姿をくらませた。


 翌日、私室の書き物机で『初めてのダンスレッスン』なる本を読まされていたアリシアはルアンドからユリオネに関する報告を受け、さらに気分を暗くしていた。
「ユリオネを研究材料にしている施設は国内にはありませんね」
 ルアンドは書き物机の向こう側で羊皮紙の束を見ながら話し続ける。
「いや、それにしても……いまだに信じられない。妖精など、神話のなかだけだと思っていました」
『じゃあきみが聞いている僕の声は幻聴だってことになるね! 少し休んだらどう?』
 ルアンドがムッとする。アドニスの声はたしかにルアンドに届いているようだ。
「おそらく国外の研究機関でしょうね。入国履歴を調べるのには少々時間がかかりますし、国外となると……。特定するのは、難しいかもしれません」
『そんなぁ……』
 書き物机の上を飛びまわっていたアドニスだが、ゆっくりと下降してきて、机の上に座り込んだ。目に見えて落胆している小さな背中には哀愁が漂っている。
「ルアンド、あなた恋人はいるの?」
「なんですか、唐突に」
「アドニスが探しているのは彼の恋人なの。このまま離ればなれなんて、可哀想だと思わない?」
「……それは、まあ」
 アリシアはじいっとルアンドを見つめた。射るような視線に耐えきれなくなったのか、ルアンドはゴホンと咳払いをして言う。
「最大限、手は尽くします。アッカーソン侯爵にもすでに依頼していますしね」
「フレデリックに? さすがルアンド、仕事が早いわね!」
 フィースの父親、フレデリック・アッカーソン侯爵はシュバルツ国が誇る優秀な外交官だ。クレアにしても彼にしても頭脳明晰で、ふたりの息子であるフィースとジェラルドがそれぞれに秀でているのは、遺伝子に由来するところも少なからずあるのだろうと思う。
『ねぇねぇ、手がかりがないのならひとまず妖精の里に行ってみない?』
 アドニスは気持ちを改めたのか、ふたたび羽ばたきを始めて提案してきた。
「妖精の里? それってどこにあるの?」
『ええと……花の街って呼ばれてる。場所は僕にはよくわからない。でも、僕も彼女も昔はそこにいたんだ』
「へえ、そうなの。ルアンド、心当たりはある?」
「花の街といえば……ステラルでしょうね。小さな田舎町だが、花の出荷量は国内外を問わずトップシェアだ。そういえば……ちょうど、ステラルの領主から茶会の招待状が届いていました」
 アリシアはパッと表情を明るくさせた。
「行きましょう! なにか手がかりがつかめるかも! ……えっと。フィースも一緒に、いいのよね?」
 おずおずと確認する。ルアンドがいっそう濃く渋面を作る。
「……ええ。姫様が外出なさる際はフィース殿に護衛を頼むようにと、王妃殿下から申しつかっております。もちろん、私も同行いたしますがね」
 アリシアの口もとがゆるみを増す。
(またフィースと一緒に出掛けられる!)
 嬉しくて飛び上がりたいところだが、ルアンドに「はしたない」と咎められるのは明白なのでグッとこらえ、平静をよそおう。
「それで、茶会はいつなの?」
「明後日です」
「じゃあ、前の日に――」
 アリシアの言葉をルアンドがすかさず遮る。
「ステラルへは馬車で一時間です。当日の移動でじゅうぶん間に合う。ですからそれまでは、いま以上に公務に励んでもらいますよ」
「……ええ」
 ガックリと肩を落としてうなだれる。そううまくは公務をサボれないものだ。
(でも……楽しみ)
 アリシアは下を向いたまま、ひそかに顔をほころばせた。

前 へ    目 次    次 へ