いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第三章 01

 花の街ステラルで催される茶会へは二台の馬車で向かった。
 一台目にはアリシアとフィース、それからルアンドの三人が乗っていた。
「――姫様。目の下にクマができているようですが」
 向かいに座るルアンドが指摘してきた。アリシアは微笑してポリポリと頬をかく。
「ああ……えっと、その……。フィースと一緒に出掛けるのが楽しみすぎて」
「………」
 となりに腰掛けているフィースはなにも言わない。ひじかけを支えに頬杖をついて口もとを手で覆い、窓の外を眺めている。
 ルアンドは眉間のシワをより深くした。
「おふたりとも、少し距離が近すぎるのではないですか。姫様、もう少し真ん中へいらしたらどうです? フィース殿が窮屈そうにしていらっしゃいます。ねえ、フィース殿?」
「……べつに、問題ない」
 フィースは口もとを手のひらで覆ったままポツリと返した。
『ははっ、完全に邪魔者だねぇ、ルアンド!』
 萌黄色の妖精はお腹をかかえ、短い足をバタバタと振って笑い転げている。
(……たしかに、ルアンドがいなかったらもっと思いきり話ができるんだけど)
 いや、贅沢は言うまい。こうしてとなりにいられるだけでも幸せだからだ。
 アリシアは無遠慮にまじまじとフィースを見つめる。
 今日の彼も団服ではあるのだが、動きやすさを重視したふだん着のものとは違う。白を基調とした生地には唐草模様の刺繍と銀の装飾がほどこされていて、襟もとから裾にかけて通る一筋の青いラインが、見る者に清々しく爽やかな印象を与える。
「フィース、その服すごくよく似合ってるよ。素敵……!」
 感嘆のため息をつきながらアリシアはフィースに魅入っている。フィースは視線だけを彼女に向ける。
「……姫様も、よくお似合いです。……可憐だ」
 アリシアが身につけているのは若草色のドレスだ。胸もとや袖口、スカートの裾には透け感のあるフリルレースが縫いつけてある。うららかな春のあたたかみを感じさせる一着だ。
「へへ……。ありがとう」
 ふたりのあいだには桃色の空気が漂っているのだが、アリシアは無自覚だ。もちろん、恨めしそうな表情でルアンドがフィースをにらんでいることにもアリシアは気づいていない。フィースに至っては、その限りではないが。
『ルアンド~。きみ、もう一台の馬車に移ったら? 見てていたたまれないよ~!』
「……妖精というのはこうもうるさいものなのか」
『僕は本当のことを言ってるだけだよ! たんに正直な・だ・け♪』
「………」
 この妖精との会話は無意味だとでも思ったのか、ルアンドは押し黙り、不機嫌顔のまま車窓から外を眺めた。


 花畑が地平線上に広がっている光景をアリシアは初めて目にした。
「すごい……、すごいっ! ねえ、フィース!」
「……そう、ですね」
 フィースの上にかぶさるように身を乗り出してアリシアは馬車の窓に張り付いていた。
「姫様! なんてはしたないっ。おやめください! そもそもやはり姫様が奥に座るべきだったのですっ」
 馬車に乗り込む際、アリシアはフィースに奥の席を譲っていた。そのほうが、景色と一緒にフィースを眺めていられるからだ。
「本当に……素晴らしい景色だわ……」
 アリシアはルアンドの小言を歯牙にもかけず、うっとりと窓の外を眺めている。
 ステラルはまさしく花の街だった。馬車道の両側は花畑で、ところどころに民家はあるがそれでも花々のほうが圧倒的に多い。馬車が進むにつれて花の種類が変わりゆくのも見ものだった。飽きがこない。
「……間もなくステラル伯爵の屋敷です」
 暖簾に腕押しだとあきらめたのか、ルアンドは懐から羊皮紙と時計を取り出してふたりに告げた。
「――あら? 懐中時計が新しくなってるわね。キャサリンが持っているものとよく似てるわ」
 アリシアが言うと、ルアンドはめずらしくバサバサッと羊皮紙の束を落とした。ちょうど紙をめくりかけていたところだった。
「……姫様は意外とまわりを見ていらっしゃいますね」
 落としてしまった羊皮紙の束を拾い集めながら、ルアンドはポツリとつぶやいた。


 ステラル伯爵の屋敷も、これまで見てきた民家と同じように花畑に囲まれていた。ほかと違うのは、それが色とりどりだということだ。出荷用の花畑ではなく、観賞用の広大な庭といったところだ。
「――ようこそ、麗しき王女殿下! ご多忙のところ、このような片田舎にご足労いただき、光栄の極みでございます!」
 ステラル伯爵の出迎えは手厚かった。屋敷に着くなり、百本はあろうかという大きな花束を受け取った。
「お招きいただきありがとうございます、ステラル伯爵。こんなに素敵な花束まで……! ああ、とてもよい香りがします――」
 ひととおりの社交辞令的な挨拶を終えたアリシアたちは茶会の会場である庭へ案内された。
 これだけの花にあふれ、かつ天気も良好となれば屋敷のなかで行うほうが無粋というものだ。
「――ところでステラル伯爵、この街には花に宿る妖精の伝承があるとお聞きしました。すごくロマンティックで、心惹かれます」
 アリシアは三杯目の紅茶を口にしたあとで、向かいに座っているステラル伯爵とその夫人に話を切り出した。白く丸いガーデンテーブルの上に置かれたソーサーに、薔薇が描かれた華奢なティーカップを静かに戻す。
 となりにはフィースが腰掛けている。紅茶やスコーンにはあまり手をつけていないようだ。ルアンドは庭の隅に控えていた。
「ああ、そうですなぁ」
 白いヒゲをたくわえた恰幅のよい老紳士、ステラル伯爵は人好きのする笑みを浮かべてアリシアに話す。
「花にあふれた街ですから、そういう話も多いですな。そういえば……ノルマンス男爵が、妖精が宿っている花を持っているとかなんとか……。ああ、ちょうどいまこの茶会に男爵が来ております」
 アリシアはすかさず言う。
「それは、ぜひお話をうかがってみたいわ」
 「そうですか!」と軽快にあいづちを打ち、ステラル伯爵は近くにいたメイドに男爵を呼んでくるよう指示を出した。
 ノルマンス男爵なる人物はすぐにやって来た。ステラル伯爵に負けず劣らずのヒゲをたくわえた中年の男だ。髪の毛が妙にモッサリとしている。
「ノルマンス男爵、妖精が宿る花の話をしてくれないか。王女殿下がご興味を示してくださっているのだ」
「はい、喜んで――」
 ノルマンス男爵の話によると、彼が所有する温室に咲く花のひとつが、ときおり歌を歌うのだそうだ。初めは子どもが忍び込んでいたずらをしているのだと思ったらしいのだが、温室のどこを探しても人の姿はなかった。そこで、花に妖精が宿っているに違いない、ということになったのだそうだ。
「ノルマンス男爵、歌っているのは何という花なのですか?」
 だめもとで尋ねてみたものの、ノルマンス男爵の返答に驚くことになる。
「妖精が宿っているのは、ユリオネです――」

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