いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第三章 02

『いやぁ、ひょっとしたらひょっとするかもっ!』
 ステラル伯爵邸での茶会を終えたアリシア一行はノルマンス男爵の屋敷へ馬車で向かっていた。
 茶会のあいだじゅう、姿が見えなかったアドニスだが、馬車に乗り込むやいなや姿を現し、妙なダンスを踊りながら期待に胸をふくらませているのだ。彼いわく『喜びの舞』らしい。
「あまり期待しすぎないでね、アドニス。秘密の花園からユリオネが……あなたの恋人、リリアンが連れ去られてしまったのがいつなのかあいまいだから、断定はできないし。ノルマンス男爵は秘密の花園の存在を知らなかったし。どういう経緯でユリオネが温室の花壇に植わっていたのかも、把握してなかったじゃない」
『それは、そうだけど……。でもっ、リリアンだっていう可能性もじゅうぶんあるよっ!』
 アドニスはあいかわらず、お尻をプリプリと振って喜びの舞を続けている。
 アリシアは「ふう」と小さくため息をついた。
「ねえ、あなたからもなにか言ってあげ――……フィース?」
 となりを向くと、フィースはなにやら難しい表情を浮かべてあごに手を当てていた。考え込んでいるように見受けられる。
「フィース、どうしたの?」
「うーん……。彼、どこかで見たことがあるような気がして」
「ノルマンス男爵のこと?」
 フィースは難しい表情のままコクリとうなずいた。
 ルアンドが口を挟む。
「舞踏会かなにかで見たのでは?」
「いや、俺はあまりそういう場に出ないから……。それに、直接会ったというわけでもない気がする。あちらは、俺のことを特に気にしているようすはなかったし」
 フィースは侯爵子息かつ騎士団の副団長だ。社交界に身を置いていてもおかしくない身分だが、舞踏会や茶会にはめったに出席しない。社交辞令的な挨拶ばかりをしてなにかとニコニコ取り繕うのが嘘くさくて嫌なのだと、そういえばずいぶん前に言っていた。
「今日は……付き合わせちゃってごめんね、フィース」
 彼と一緒に出掛けられることに舞い上がって失念していた。なんとなく、フィースはずっと不機嫌のように見える。嫌々同行しているからなのかもしれない。
 アリシアがしゅんとしてうつむいていると、
「いえ、お気になさらず。むしろ……姫様がご一緒なので、楽しいです」
 フィースは淡々とした口調で言った。気を遣ってそんなふうに言ってくれたのだととれなくもない。しかし、そうではないような気がした。
 アリシアの表情が打って変わって明るくなった。嬉々として顔を上げる。
「もう、アドニス! いいかげんにそのダンスはやめてよ」
『うん?』
 プリッ、とお尻を突き出してこちらを振り返ったさまが特におかしかった。アリシアは「ふふっ」と声を出して笑った。


 ノルマンス男爵の屋敷はステラル伯爵邸から馬車で数分のところだった。男爵の屋敷はこぢんまりとしていて、むしろ隣接している温室のほうが大きいようにも思える。ノルマンス男爵は様々な種類の花を集めるのが好きなのだと言っていた。
「――ユリオネの妖精は恥ずかしがり屋のようですから、あまり大人数で押しかけると口を閉ざしてしまうやも……」
 神妙な面持ちで男爵が言った。アリシアは肩に乗っているいたずら好きの妖精にこっそりとおうかがいを立てる。
「リリアンは、そういう性格なの?」
『う~ん……。なんとも言えないなぁ……。まぁ、妖精はみんな基本的に恥ずかしがり屋だよ』
 ではアドニスは基本から外れていることになると思ったけれど、口には出さなかった。
「こうしてはどうでしょう。まずは私と王女殿下だけで妖精に会いに行くのです。皆さんには、温室の外で少々お待ちいただくことになりますが」
 ノルマンス男爵の提案を聞いたフィースはピクッとわずかに眉をひそめた。
「ああ、そうですね」
 アリシアは即答した。フィースとルアンドには妖精が見えない。だから自分ひとりが――アドニスが、ユリオネの花に宿る妖精がリリアンかどうかを確かめれば、それで事足りる。
「それじゃあフィース、ルアンド。少し待っていてくれる?」
「……しかし、姫様」
 フィースはなにか言いたげに口をひらいた。しかしそのあとに続く言葉はない。
「――それでは、王女殿下。どうぞこちらへ」
「ええ」
 アリシアは「まかせて」と言わんばかりにフィースにウィンクをして、ノルマンス男爵の案内で筒型の温室へ入った。
「まあ……なんて素晴らしいの」
 ありきたりな褒め言葉を口にしてしまったが、本心だった。
 花壇には所狭しと様々な種類の花が咲き誇っている。
「同じ種類の花はひとつもないのですよ」
 ノルマンス男爵は歩きながら自慢げに言った。アリシアは「まあ」と無難なあいづちを打ってから賛辞を述べる。
「色とりどりの花々はみな表情が違っていて、そして鮮やかで……心洗われるようです。素晴らしいですわ」
 花壇の端から端までくまなく視線を走らせる。
「――それで、ユリオネはどちらに?」
「こちらです。最奥にございます」
 ノルマンス男爵が指し示す先に白い大輪の花――ユリオネがあった。
 その花には、たしかに妖精が宿っていた。妖精はユリオネの葉の上に座っている。長い金の髪に、大きな二重まぶた。弓なりの眉と、ぷっくりとした桃色の唇。妖精は人の姿に近かったのだが、人よりも小さい。いや、人よりは小さいのだが。
『ぜんっっっぜん違う! リリアンはもっと腰がくびれててセクシーなんだから!』
 アリシアはビクッと肩を震わせた。アドニスの姿は視界にはなく、頭のなかだけで彼の声が響いた。ノルマンス男爵はアドニスの声に気づいていないようだから、妖精はきっとアリシアにだけ聞こえるように言ったのだろう。そんなことができたのか、と少し驚く。
『なぁに、失礼なやつね』
 ユリオネに宿る妖精がぷうっと頬をふくらませた。もともとぷっくりしていた頬が、よけいにふくらんだ。
 その妖精は少しばかり――いや、だいぶん太っていた。
「……? 王女殿下、いまなにかおっしゃいましたか?」
「えっ? あ、いえ……」
 まごついていると、ユリオネの精はべえっと舌を出して姿を消してしまった。
「ユ、ユリオネの妖精は……いまは眠っているようですね?」
 アリシアが言うと、ノルマンス男爵は耳を澄ます仕草をしたあとで静かにため息をついた。
「そのようですね……。彼女の美しい歌声をお聞かせすることができず、残念です。いつかまた、ぜひ」
 このユリオネに宿る妖精がリリアンでないとわかった以上、もう次はないだろうと思いつつにこやかにうなずく。
「じつは別邸にも広大な温室があるのです。そちらもぜひご覧になっていただきたい」
 すると思わぬ提案を受けてしまった。

前 へ    目 次    次 へ