いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第三章 03

「そうなのですか。……それでは、一度わたくしの連れのもとへ戻ってから――」
「この先の裏口からすぐに馬車に乗ることができます。表からでは遠まわりですから、どうぞこちらへ」
「いえ、でも……」
「お連れの方々にはあとでお伝えしておきますから。さあ、王女殿下」
 ノルマンス男爵はアリシアの体にこそ触れはしないものの、狭い通路を囲い込んで強引に裏口へ誘導する。
(どうしよう……。勝手に行動するのはマズイよね)
 戸惑いつつ裏口から温室の外へ出ると、そこはすぐに裏門だった。すでに馬車が待たせてある。やけに準備がよい。あらかじめノルマンス男爵はアリシアを別邸に連れて行く心づもりだったのだろうか。
「ノルマンス男爵、連れの者も一緒でなければ困ります」
 きっぱりと告げた。しかしノルマンス男爵はしつこく食い下がる。
「ですから、のちほど皆様にも来ていただきます。さあ」
 彼の声音は明らかに苛立ちを含んでいた。肩をつかまれ、無理やり馬車のほうへ歩かされる。
「……っ、放してください!」
 なにかがおかしい。なぜ彼はこんなにも強引に自分を馬車へ乗せようとするのだ。
「いやだと言っているでしょうっ!?」
 馬車のようすも妙だった。ノルマンス男爵家の紋が入っていないし、カーテンは真っ黒で、閉め切ってある。とても、客人を乗せるような馬車には見えない。これではまるで――。
「ええい、大人しく来るんだ!」
 誘拐だ、と考えたのと同時にノルマンス男爵が声を荒げた。
(や、やっぱり……!)
 アリシアはなりふりかまわず抵抗する。
「イヤッ、放して! フィ――……っむぐ」
 大声を出そうとしていると、口をハンカチで覆われた。
「んーっ、んーっ!!」
 あきらめずに声を出そうとあがく。
「ちっ、大人しいかと思えばとんだじゃじゃ馬姫だ」
「んぐっ、うーっ!」
 こんな状況で姫の皮などかぶっていられない。アリシアはノルマンス男爵をにらみ上げ、なんとか彼の腕を振り払おうとジタバタと両手足を盛大に動かしていた。
「――……っ!?」
 突然、ノルマンス男爵の風貌が変わった。表情が変わったのではない。
 モッサリとしていた髪の毛が、突如としてなくなってしまった。彼の頭は見事なつるっぱげだ。
「か、髪の毛が……」
 目を白黒させているあいだに、ノルマンス男爵はその場に崩れ落ちた。
 ――フィースだ。いつの間にかノルマンス男爵の背後にいて、彼の首のうしろをカックンと小突いたのだ。
 フィースは身をかがめ、アリシアの足もとに転がるノルマンス男爵のヒゲを引っ張った。すると髪の毛と同様、キレイにはがれてしまった。
「ああ、やっぱり」
 髪の毛とヒゲのせいで気がつかなかった、とつけ加えてフィースは気を失っているノルマンス男爵の顔をマジマジと観察している。
「アリシア、怪我はない?」
「う、うん……。えっと、これは……どういうこと?」
 ノルマンス男爵と揉み合って乱れてしまった、アリシアのピンク色の長い髪の毛を手で梳きながらフィースは言う。
「この男、手配書で絵姿を見たことがあったんだ。容疑は人身売買。まさか貴族――男爵だとは思ってなかった」
 ヒゲとカツラのせいで気づくのが遅れた、と愚痴をこぼしながらフィースはアリシアの髪の毛を指に絡めてもてあそぶ。
「そ、っか……」
 じいっとフィースを見つめる。どうしてか、いまごろ体が震え始めた。緊張の糸が切れたからかもしれない。
 フィースは手の動きをピタリと止めて顔を強張らせた。
「ごめん、怖い思いをさせて……。俺がもっと早く気づいてれば――」
「ううん。私が、また……勝手に行動したから……だよ」
 アリシアはふるえ声で無理に笑顔をつくった。その笑顔がよけいに痛々しさを際立たせる。
「もう、大丈夫だから……アリシア」
 頭と腰をつかまれ、抱き寄せられる。
(……あたたかい。フィースのにおいだ)
 すごく落ち着く――。
 震えはしだいにおさまっていった。そっと彼の背に腕をまわして抱きしめ返す。
(あ、れ……?)
 フィースの体はこんなにも広く、厚かっただろうか。
 落ち着いていたはずの心臓がトクッ、トクンとにわかに鼓動を早める。
 雄々しい硬い体を意識しているからだ。頬に熱が集まってくるのがわかってあせる。
「……――なぁぁにをなさってるんですぅぅ!?」
 第三者の声に驚いてビクンと肩を震わせたのはアリシアだけだ。フィースはおそらく、近づいてくるその男に気がついていたのだろう。
「……ああ、ルアンド。ちょうどイイところに」
 フィースはいかにも不機嫌そうな仏頂面だ。
「この男――ノルマンス男爵を王女の誘拐未遂現行犯で地元の役人に引き渡す。そもそもこの男は人身売買の手配犯だから、余罪はゴロゴロ出てくるだろうな。そういうわけでルアンド、役所へ行って手続きをしてきてくれ。俺はこいつを縛っておくから」
「……承知いたしました」
 ルアンドはうなるような返事をした。アリシアはうつむいたままふたりのやりとりを聞いていた。腰もとに添えられていたフィースの腕が離れる。ルアンドが去ると、フィースは懐から長縄を取り出した。いまだに気絶しているノルマンス男爵をさっそく縛り始める。
『いやぁ……危なかったね、アリシア!』
 タイミングを見計らっていたのか、いたずら好きの妖精がクルクルと体を回転させながら姿を現した。
「アドニス! もうっ、なによ……いまごろ出てきて」
『なにもしてなかったわけじゃないよ~。フィースを呼びに行ってたんだよ~。入れ違いになっちゃったけど!』
 本当かしら、と声には出さず目でうったえかけると、アドニスは「ひゅう~」と口笛を吹くふりをした。都合が悪くなるとその仕草をするようだ。
「妖精って……なにか特別なこと、できないのか?」
 ノルマンス男爵を縛り上げながらフィースがアドニスに尋ねた。

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