いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第三章 04

『ん~? それは……ヒ・ミ・ツ♪』
「……ってことは、くだらないイタズラ以外はできないってことだな」
『むむっ! 失礼な! 僕のイタズラの恩恵にあやかってるやつのセリフじゃないね!』
「……っ」
 フィースはゴホンッと妙な咳払いをした。そのあとは黙々と、着実にノルマンス男爵を縄でがんじがらめにしていった。
「縛るの上手ね、フィース」
「……そう? もしかして、アリシアも縛られたい?」
「えっ、いやよ」
「ま、そうだよな……」
 縛られるのは罪を犯したときだ。喜んでそうされたいわけがないのに、なぜ彼がそんなことを訊いてきたのかわからない。
『残念だったね、フィース! ホントはアリシアのこと縛ってイロイロしたいんだろうけどっ』
「えっ!? そ、そうなの? 縛って……なにをするの?」
 アリシアは不安げに青い瞳を揺らす。
「……アドニスはどこにいる、アリシア」
「へっ? ……ああ、いなくなっちゃった」
 アドニスは忽然と姿を消してしまったのだった。


 フィースがノルマンス男爵を縛り終えてしばし経ったあと、ルアンドが地元の役人をともなって戻ってきた。
「……温室の花たちはどうなるの?」
 連行されるノルマンス男爵の背を見送りながらアリシアはつぶやいた。
「ノルマンス男爵には妻も子もないので、ひとまずステラル伯爵がここを管理することになるでしょう。……花が枯れぬよう注意してほしいと、あとで伯爵宛てに送る書状に書いておきますよ」
「ありがとう、ルアンド。よろしくね」
 広大な温室を見上げてホッと息をつく。
『ねぇねぇっ! 妖精は人の手が入っていない場所を好むよ!』
「きゃっ! ……もうっ、またあなたは突然!」
 アドニスはいきなりふってわくので心臓に悪い。
『せっかくここまで来たんだから、ほかの妖精にも会っていこうよぉ~』
 アドニスは猫なで声を出してアリシアの頬にすり寄る。触れられても、やはりなにも感じない。
「たしか……人の手が入っていない花園が、街のはずれ――南のほうにあるとステラル伯爵が言っていたな」
 フィースのつぶやきに、アリシアはすぐにあいづちを打つ。
「そうね。せっかくだし、行ってみましょう」


 ステラルの南に未開の花園はあった。街中の、理路整然とした花畑とはまた違って、ごく野生的に花々が咲き乱れている。
 きょろきょろととあたりを見まわすアリシアのかたわらにはフィースがいる。
「今度は、俺……ずっと離れませんから。どうかご安心ください」
「うん……。ありがとう、フィース」
 ノルマンス男爵邸でのことを気遣ってくれているのだろう。アリシアはフィースを見上げてほほえむ。
「……私だって離れませんよ。姫様、フィース殿。どうかお忘れなく」
 ルアンドのそんな言葉のあと、フィースが小さく舌打ちをしたのには、だれも気がつかなかった。
『わあっ、懐かしいなぁ。ねぇ! こっちにキレイな湖があるんだよ! さあ、僕に続いて~っ』
 いったいどこから取り出したのか、アドニスはいつの間にか手に棒つきの小さな旗を持っていた。それを高らかに掲げ、ツアーガイドさながら『こちらですぅ~』と言いながらはしゃいでいる。
「まあ、行ってみるか」
 フィースが先頭をきって歩き出す。そのうしろにアリシア、そしてルアンドと続いた。侍女たちは馬車で待機するようだ。
 フィースは丈の長い草を剣の柄でなぎ倒し、道なきところに道を作っていく。
 ツアーガイド妖精と化しているアドニスの姿はフィースには見えないので、おそらく声を頼りに進んでいる。アリシアがアドニスの位置を示さなくても、きちんと彼のあとを追うことができている。
『こっちだよ、こっち~。もう少しだから頑張って!』
 こんな調子でアドニスはずっと声を出しているので、あとを追うのは造作もないというわけだ。
 湖までの道のりは思いのほか長かった。すぐに到着するものだとばかり思っていたせいもあるかもしれない。
 妖精は宿った対象物からそう遠くは離れられないとアドニスは以前言っていたが、予想していたよりも彼らの行動範囲は広い。
 そんなことを考えながら歩みを進めていると、急に視界がひらけた。
 ――そこは、隠された湖だった。
 野に咲く花が少なくなり、うっそうと木々が乱立していたかと思えば、不意打ちのようにまた視界が開放的になって、色とりどりの花々に迎えられた。湖というにはやや小さいような気がするが、湖畔に咲く花はどれも美しく、そして――。
「妖精、が……」
 瞳に映るのはさまざまな姿をした妖精たちだった。
『あら、アドニスじゃない』
『ヒトなんかに憑いて、なにやってるの?』
『まだそのふざけた姿のままでいるの?』
 ――と、多様な姿の妖精たちが思い思いの言葉を口にしてふらりと近づいてきてはあっという間に去っていく。
 彼らの共通点は、蝶のような羽が生えていて、かつ手のひらサイズだということ。それ以外は、ヒトの形だったりネズミのようだったりと、本当にさまざまだ。
「す……ごい、すごいっ! 妖精が、たくさん……!」
 思わず駆け出していた。美しく自生する花たちだけですら、目にして感動していたところに、これほど多種多様な妖精たちまで加わっては心躍らずにはいられない。有頂天になっていた。
「――アリシア!」
「えっ?」
 フィースの声で振り返ったときには、もう遅かった。
「……っ!!」
 足を滑らせたアリシアはものの見事に湖へと倒れ落ちた。
 バシャン! と豪快に水音が立ち、アリシアの体が弾いた水しぶきがあたりの花と草を濡らす。
「……――なぁ~にをなさってるんですかぁぁ!」
 ルアンドの怒声がむなしく響く。
 湖が浅かったのは幸いだった。アリシアは呆然と湖のなかに座り込んでいた。
 水は、さほどつめたくはない。湖全体が陽光に照らされているからだろう。湖面はキラキラと輝いていて、息をのむ美しさなのだが――いまはさすがに、そんなことを考えている場合ではない。

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