「ああ、これじゃあ……着替えても、下着を濡らしてしまう」
フィースが声をひそめる。
「――舐めとっておこうか」
「……っ!!」
耳のなかに、吐息とともに言葉をつむがれ、ぞくぞくっと全身の表皮が粟立つ。
フィースはアリシアの返答を待つことなく彼女の片脚を押し上げた。しかし、
「……戻ってきたみたいだ」
かかえ上げたばかりのアリシアの脚をパッと放し、上着を脱いで彼女の肩に羽織らせた。
「――姫様!」
間もなくして、ルアンドが侍女をともなって戻ってきた。フィースは立ち上がり、ルアンドに言う。
「姫様には服を脱いでもらった」
「なっ!」
「そのままにしていたら風邪を引く。……べつにやましいことはしていない」
アリシアはふたりのやり取りを、彼らに背を向けたまま聞いていた。替えのドレスや下着を手にした侍女たちがアリシアのまわりを囲む。
――そうだ。
先ほどの一連の出来事は、アドニスのイタズラにフィースが対処したというだけで、べつに――。
「……姫様?」
いつまでもぼうっとしているアリシアを不審に思ったらしい侍女のひとりが彼女に呼びかけた。
「あ……ご、ごめんなさい」
「お風邪を召されたのかもしれません。さあ姫様、ドレスをお早く」
「ええ……」
あわただしく替えのドレスに袖を通し、アリシアたちは帰路につく。
もときた道――草むらを抜け馬車に乗り込むと、アリシアは侍女から何枚もブランケットを渡された。幾重ものブランケットに全身を包み込まれ、暑いくらいだった。
「ねえ、フィース。私の瞳……もとに戻ってる?」
すぐとなりにいる――車窓から景色を眺めているフィースに尋ねた。
「……はい。いつも通り、青いです」
「そ、そう……」
では、この疼きはなんなのだろう。下半身がいまだに熱を持っているような気がするのは、なぜなのだろう。
(何枚もブランケットを羽織っているからかしら……)
アリシアは火照った赤い頬の熱をたしかめるように手のひらでペタリと顔を覆い、うつむいた。
妖精の湖をあとにして小一時間が経ったころ。
フィース・アッカーソンは肩の重みを心地よく感じ、それとは正反対に正面からの視線を不愉快に思っていた。
「……へたに動かしたら姫様が起きる。城へはあと少しだ。このまま寝かせておいたほうがいい」
ぶっきらぼうにフィースはルアンドに言った。
「それは、まあ……そうですが」
ルアンドはしかめっ面のままじいっとこちらを見つめてくる。フィースはふいっと視線を逸らして車窓から外を眺めた。
アリシアはよほど疲れていたのか、あるいは馬車の揺れに眠気を誘われたのか、フィースの肩にもたれかかって眠ってしまった。
ルアンドにはああ言ったが、彼女は一度寝るとなかなか起きないタイプなので、多少は動かしてもかまわないと思う。少しでもアリシアと触れ合っていたいというのが本音だ。そういうわけで、現状を維持することにした。
『アリシア、眠っちゃったねぇ』
急に妖精の声が聞こえた。姿は見えないので、唐突に思える。いつからいたのだろう。
「そうだな」
無難にあいづちを打つ。下手なことは言うまい。ルアンドの前でアドニスとよけいな話をして、墓穴を掘るわけにはいかない。
『湖では、楽しめた?』
「……ああ。美しいところだな」
アリシアを起こしてしまわないように小声で話す。アドニスも、どうやら彼女に気を遣っているらしく、いつものようにうるさくはなかった。
意外と気がきくやつだ。湖でのイタズラのタイミングといい、その後はふたりきりにしてくれたりとなにかとお膳立てをしてくれるので、正直なところ彼には恩すら感じる。
「ところでアドニス。妖精たちからリリアンに関する情報は得られたのか?」
『ううん……。最近はだれも彼女を見ていないって』
「そうか……」
アドニスが落胆しきっているのが、姿が見えずとも声音でわかった。
「俺の父さん――外交官なんだが、かなり顔が広いんだ。ほかの仕事の合間にはなるけど、手を尽くしてくれてるみたいだから……。あまり気を落とすな、アドニス」
『……うん。ありがとう、フィース。よろしくね』
それきり、アドニスの声は聞こえなくなった。いなくなってしまったのか、あるいはただ黙り込んでいるだけなのか、唯一彼の姿を見ることができるアリシアは眠っているので、さだかではない。
フィースはふたたび窓の外を見やる。王都にさしかかったところだった。
ルアンドはというと、アリシアの予定を確認しているらしく羊皮紙の束と懐中時計を見比べている。
――湖で彼女にしたことを、後悔なんて微塵もしていない。むしろ、邪魔が入らなければもっと――。
肩が熱くなったように感じた。彼女を意識してしまったからだろう。
(でも、アリシアは……。俺がしたことをどう思っただろう)
幼な子のようにスピスピと可愛らしい寝息を立てて眠る姫を、フィースはルアンドの目を盗んでひそかに見つめた。
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フィースが声をひそめる。
「――舐めとっておこうか」
「……っ!!」
耳のなかに、吐息とともに言葉をつむがれ、ぞくぞくっと全身の表皮が粟立つ。
フィースはアリシアの返答を待つことなく彼女の片脚を押し上げた。しかし、
「……戻ってきたみたいだ」
かかえ上げたばかりのアリシアの脚をパッと放し、上着を脱いで彼女の肩に羽織らせた。
「――姫様!」
間もなくして、ルアンドが侍女をともなって戻ってきた。フィースは立ち上がり、ルアンドに言う。
「姫様には服を脱いでもらった」
「なっ!」
「そのままにしていたら風邪を引く。……べつにやましいことはしていない」
アリシアはふたりのやり取りを、彼らに背を向けたまま聞いていた。替えのドレスや下着を手にした侍女たちがアリシアのまわりを囲む。
――そうだ。
先ほどの一連の出来事は、アドニスのイタズラにフィースが対処したというだけで、べつに――。
「……姫様?」
いつまでもぼうっとしているアリシアを不審に思ったらしい侍女のひとりが彼女に呼びかけた。
「あ……ご、ごめんなさい」
「お風邪を召されたのかもしれません。さあ姫様、ドレスをお早く」
「ええ……」
あわただしく替えのドレスに袖を通し、アリシアたちは帰路につく。
もときた道――草むらを抜け馬車に乗り込むと、アリシアは侍女から何枚もブランケットを渡された。幾重ものブランケットに全身を包み込まれ、暑いくらいだった。
「ねえ、フィース。私の瞳……もとに戻ってる?」
すぐとなりにいる――車窓から景色を眺めているフィースに尋ねた。
「……はい。いつも通り、青いです」
「そ、そう……」
では、この疼きはなんなのだろう。下半身がいまだに熱を持っているような気がするのは、なぜなのだろう。
(何枚もブランケットを羽織っているからかしら……)
アリシアは火照った赤い頬の熱をたしかめるように手のひらでペタリと顔を覆い、うつむいた。
妖精の湖をあとにして小一時間が経ったころ。
フィース・アッカーソンは肩の重みを心地よく感じ、それとは正反対に正面からの視線を不愉快に思っていた。
「……へたに動かしたら姫様が起きる。城へはあと少しだ。このまま寝かせておいたほうがいい」
ぶっきらぼうにフィースはルアンドに言った。
「それは、まあ……そうですが」
ルアンドはしかめっ面のままじいっとこちらを見つめてくる。フィースはふいっと視線を逸らして車窓から外を眺めた。
アリシアはよほど疲れていたのか、あるいは馬車の揺れに眠気を誘われたのか、フィースの肩にもたれかかって眠ってしまった。
ルアンドにはああ言ったが、彼女は一度寝るとなかなか起きないタイプなので、多少は動かしてもかまわないと思う。少しでもアリシアと触れ合っていたいというのが本音だ。そういうわけで、現状を維持することにした。
『アリシア、眠っちゃったねぇ』
急に妖精の声が聞こえた。姿は見えないので、唐突に思える。いつからいたのだろう。
「そうだな」
無難にあいづちを打つ。下手なことは言うまい。ルアンドの前でアドニスとよけいな話をして、墓穴を掘るわけにはいかない。
『湖では、楽しめた?』
「……ああ。美しいところだな」
アリシアを起こしてしまわないように小声で話す。アドニスも、どうやら彼女に気を遣っているらしく、いつものようにうるさくはなかった。
意外と気がきくやつだ。湖でのイタズラのタイミングといい、その後はふたりきりにしてくれたりとなにかとお膳立てをしてくれるので、正直なところ彼には恩すら感じる。
「ところでアドニス。妖精たちからリリアンに関する情報は得られたのか?」
『ううん……。最近はだれも彼女を見ていないって』
「そうか……」
アドニスが落胆しきっているのが、姿が見えずとも声音でわかった。
「俺の父さん――外交官なんだが、かなり顔が広いんだ。ほかの仕事の合間にはなるけど、手を尽くしてくれてるみたいだから……。あまり気を落とすな、アドニス」
『……うん。ありがとう、フィース。よろしくね』
それきり、アドニスの声は聞こえなくなった。いなくなってしまったのか、あるいはただ黙り込んでいるだけなのか、唯一彼の姿を見ることができるアリシアは眠っているので、さだかではない。
フィースはふたたび窓の外を見やる。王都にさしかかったところだった。
ルアンドはというと、アリシアの予定を確認しているらしく羊皮紙の束と懐中時計を見比べている。
――湖で彼女にしたことを、後悔なんて微塵もしていない。むしろ、邪魔が入らなければもっと――。
肩が熱くなったように感じた。彼女を意識してしまったからだろう。
(でも、アリシアは……。俺がしたことをどう思っただろう)
幼な子のようにスピスピと可愛らしい寝息を立てて眠る姫を、フィースはルアンドの目を盗んでひそかに見つめた。