いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第四章 04

(あっ……。もしかしたら!)
 アリシアはバートを呼び止める。そのままテラスを素通りされてしまいそうだったからだ。
「ミスター・カノーヴィル! この先にテラスがあるようですね。拝見してみたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、いいですよ。なんの変哲もないただのテラスですが」
 バートは進路を変え、三人をテラスへ誘導する。
 アリシアはうしろを歩くフィースとルアンドに目配せをした。ふたりがそれぞれコクンと小さくうなずく。フィースとルアンドも、アリシアと同じく花壇にユリオネが植えられている可能性があると考えているようだ。
 心臓がドキドキと高鳴って、落ち着かない。アドニスの姿はいまは見えない。もしかしたら、先にテラスへ行っているのかもしれない。
 バートがテラスへの掃き出し窓を押し開ける。外からつめたい風が吹き込む。
 ――アドニスはすでに花壇の前にいた。小さな背中は、力なくうなだれているように見える。
(アドニス……? どうしたんだろう)
 アリシアは「いい眺めですね」と適当な世辞を述べ、それとなく花壇に近づき、視線を下に向けた。
 アリシアは目を見張った。
「ユリオネ、が」
 アリシアがポツリとつぶやくと、バートも彼女と同じように花壇を見おろした。
 ふたりの視線の先には、いまにも枯れ絶えてしまいそうなユリオネが植えてあった。白い花弁は黒ずみを帯びてしおれ、茎は力なく地べたに張りついている。広い花壇だが、ほかに花は植わっていない。ユリオネの花は孤独だった。
 この花に、アドニスの恋人妖精リリアンが宿っているのかどうか、アリシアはわからなかった。妖精らしきものの姿は見えないし、アドニスはなにも言わない。ただ、悲しそうにうなだれているばかりだ。
(……まさか)
 以前、アドニスが言っていた。妖精は宿っている花が枯れると、消えてしまうのだと。
 ぞくっ、と背筋に悪寒が走った。
 ユリオネは見るからに元気がない。すでに枯れている状態だ、と言われれば、そう取れなくもない。
「――ああ、枯れてしまっていますね」
 まるでだめ押しをするかのように、バートの言葉が胸に突き刺さる。なにも答えられない。
「ユリオネの花粉は魔鉱石を磨くのにちょうどよいのですよ。……そうそう、この花は貴国の土地で採取いたしました。ブロッサムではなかなかユリオネが自生しませんし、市場にも流通しないので。しかしやはり、この土地には合わないのか……。栽培環境をきちんと調べておけばよかったのですが」
 バートの話は頭のなかをすり抜けていく。
(手遅れ、だったの?)
 アドニスに尋ねたい。けれどバートがすぐそばにいるので、できない。
『――リリアンは、生きてるよ。でも、すごく弱ってる。姿を現せないくらい』
 頭のなかに響いた、アドニスの声。曇りきっていたアリシアの表情が明るくなる。
(ひとまず、よかった……。でも、このままじゃ……リリアンが消えてしまうのは時間の問題よね)
 あごに手を当て、アリシアは思案顔になった。
「……王女殿下? どうなさいました?」
 不思議そうな顔をしてバートがアリシアの顔をのぞき込む。
「えっ……と、あの! この……ユリオネの花を、シュバルツ国に返していただけませんか?」
 この土地の気候が合わないのであれば、シュバルツに――秘密の花園に戻せばまた元気になるのではないかと思って提案した。
「え? しかしこの花は、もう枯れていますよ。どうせなら、もっと生き生きとした美しい花をお贈りいたします。麗しい貴女に、枯れた花は似合わない」
 しかしバートはとりあってくれない。
「いえ、そうではなくて、その……」
 アリシアは言いよどみ、なにかうまい理由はないかと考えあぐねる。
「このままでは……その、花がかわいそうですから……。シュバルツに戻していただければ、もしかしたら元気になるかもしれません」
「いやぁ、もう無理でしょう。……せっかく貴国から持ち帰らせていただいたのに、申し訳ございません」
「そんな、責めているわけではなくて……ええと」
 彼を納得させる、なにかよい理由はないかと必死に頭のなかをフル回転させるが、良案は浮かばない。
 押し黙っているアリシアを見たバートが眉尻を下げて謝罪する。
「気に病ませてしまって本当にすみません……。王女殿下はとても心お優しいかたなんですね。この花を枯らしてしまったお詫びに、ブロッサム原産の活きのいい花を差し上げますから」
「……っ」
 アリシアは小さくパクパクと口を動かした。これでは埒が明かない。
「じ、じつは――……」
 アリシアは思いきってバートに事情を説明した。アドニスのこと、リリアンのこと。すべてを、洗いざらい正直に話す。
『お願い! リリアンを返して』
 アリシアが説明を終えると、すかさずアドニスもバートに語りかけた。
 彼はキョトンとして、パチパチと何度もまばたきをした。
「いまのは、腹話術ですか? お上手ですね。それに、とてもロマンティックなお話でした。私を楽しませようと、懸命にお話しをしてくださって……なんて可愛らしいかただ」
 ぎょっとしてバートを見上げる。彼はアリシアの話をまったく信じていない。
「いえ、ですから本当に……っ」
「――姫様」
 ルアンドはアリシアに呼びかけ、ふるふると小さく首を横に振った。これ以上、彼に妖精の話をしても無駄だ、と言いたいのだろう。最悪の場合、シュバルツ国の王女は頭がおかしい、ということにもなりかねない。
「さあ、そろそろ所内へ戻りましょう。ほかに見どころがたくさんありますから」
 にこやかな顔でそう言ってバートは研究所内へ戻っていく。
 アリシアは奥歯を噛み締めた。もどかしくてたまらない。
 チラリとアドニスを見やる。彼もまた、消沈しきっているようだった。


 魔鉱石研究所の見学を終えたアリシアたちはブロッサム城の貴賓室で紅茶を飲みながらリリアン救出のための作戦会議をした。
 給仕をしてくれている侍女はシュバルツ国からともに赴いて来た者ばかりなので、貴賓室にいるのはみな身内だ。
「ごめんなさい、アドニス。私がもっとうまく、ミスター・カノーヴィルに話をできていれば……」
 革製カウチの隅のほうに腰掛けていたアリシアがボソボソとつぶやいた。
 なんて情けないのだろう。自身の不甲斐なさに腹さえたってくる。

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