いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第四章 07

 彼にどういう反応を求めていたのか、自分でもわからない。しかし、期待していたものと違ったのは明白だった。
『私、花園へ戻りたいわ。アドニスはべつに一緒じゃなくてもいい』
 リリアンは白金の髪の毛を指に絡め、フィースが飲みかけていたティーカップの端に気だるそうに座り脚を組んでいる。
『そんなぁ~っ』
 アドニスはローテーブルの上に座り込み、リリアンを見上げた。
『その擬態をやめてくれたら、少しは考えてあげなくもないわ』
『えぇ~……。でも僕、これ気に入ってるんだもん』
 ふたりの会話に聞き入っていたアリシアだが、ふと疑問を口にする。
「アドニスのその姿って……」
『ふふっ、じつは仮の姿なんだ!』
「へえ……。本来はどんななんだ? ちょっと見せてみろ」
 ミックスベリージャムのタルトを食べていたフィースがアドニスを見おろす。
『ヤ・ダ・よ♪ 僕はこの姿がいちばんイイんだ!』
「あ、そう。そんなふうにつまらない意地を張ってたんじゃ、この先ずっとおまえの恋は実りそうにないな」
 そう言ってフィースはタルトの最後のひとかけらを口に放り込んだ。そのあと、どうしてか険しい表情になった。なにかを切実に考え込んでいるような、思い悩んでいるような顔つきだった。


 貴賓室でしばし休息したあとは、王城の舞踏会に出席するためせわしなく身支度をした。
 無事にリリアンを見つけ出し目的は達成したわけだが、表向きは外遊ということになっているので、舞踏会に招かれれば出席しないわけにはいかない。
 装いを新たにしたアリシアはフィースのエスコートで会場へ向かった。
 彼もまた正装している。青地のジャケットには肩に銀色の硬質なフリンジがほどこしてあり、彼が歩くと重々しく揺れる。袖口や裾の銀装飾はややシンプルだが、胸にはいくつもの勲章が飾られていて、それが粛々としていながらも彼の内なる煌びやかさを引き出しているように思える。
 トラウザーズは銀地だが、剣模様の青色刺繍が全体に広がっており、青いジャケットと絶妙な具合にマッチしていて、洗練された落ち着きのあるコーディネートとなっている。
 ふたりはブロッサム城の外廊下をとくに会話することなく静かに歩いていた。やや遅れて、ルアンドや侍女たちもふたりを追う。
 舞踏会場までの道すがらアリシアはフィースをチラチラと盗み見ては、頬をポッと赤く染めていた。頬の熱が冷めたころにまた彼を見やり、顔を熱くするということの繰り返しだ。
(舞踏会でフィースと一緒になるの……初めてかも)
 彼が舞踏会に出席するのは極めて稀だから――。
(あ……っ、そうか)
 フィースが不機嫌な理由はこれかもしれない、と思った。
(きっと嫌々、私のエスコートをしてくれているんだわ)
 謝ろうと思って顔を上げるのと同時に、舞踏会場であるダンスホールにすでに到着していることに気がついた。
「あの、フィース……」
「――王女殿下! ああ、先ほどにも増して麗しい」
「えっ?」
 急に背後から話しかけられ、驚いて振り返るとそこにはバート・カノーヴィルがいた。
「あ……。ありがとうございます、ミスター・カノーヴィル」
「さっそくですが、私と踊っていただけませんか」
「え、ええ……。喜んで」
 アリシアはバートに手を預けながら横目でフィースをうかがった。彼はあっという間に貴族たちに囲まれてしまった。フィースは長身なので顔はなんとか見えるが、彼のまわりには人だかりができていて、近づけそうにない。
「――王女殿下?」
「……っ、はい」
 バートに呼びかけられ、ハッとする。彼がなにやら話していたようだが、上の空だった。
「あ、ごめんなさい……。ええと」
「もしかして、緊張なさっているのですか? ……本当に、可愛らしいかただ」
 アリシアはあいまいにほほえんでステップを踏む。
(いけない。ただでさえダンスは苦手なんだから……。集中しなくちゃ)
 アリシアは笑顔を張り付けてダンスに励む。
「貴女のお母上はもともとブロッサムのご出身なのだそうですね」
 ステップを踏み間違えないよう注意しながら「はい」と答える。
「私は近いうちに父の侯爵位を継ぐ予定なのですが……。その暁には、私と結婚してくださいませんか」
「は――……っ、え!?」
 つい「はい」と返事をしてしまいそうになり、あわててバートを仰ぎ見た。
「……っ!」
 バートが小さくうめく。ぎゅむっと思いきり彼の足を踏みつけてしまった。
「あっ……! ご、ごめんなさい」
「いいえ、お気になさらず」
 バートは微笑して、ぎゅうっといっそう強くアリシアの腰を引き寄せた。
「近日中に貴国へ正式な結婚の申し入れをします。あなたのお母上は――王妃殿下はブロッサムのご出身ですから、きっとお喜びになってくださいますよ」
「えっ? ええっ、と……」
 こういうとき、どう答えればよいのかわからない。ガヴァネスの授業や、ルアンドから渡された本で返答例を読んだことがあるような気がするけれど、頭のなかには少しも浮かんでこなかった。
 そうしているあいだに、顔の距離がどんどん近くなっていく。バートがなにをしようとしているのか気がつき、全身がこわばる。
「いっ……!」
 嫌だ――そう思った瞬間、唇をなにかに覆われた。それは、あたたかくて大きな手のひら。
「――婚前の王女殿下になにをなさるおつもりですか」
 アリシアの口もとを守るように覆い、フィースはうなるような低い声で言った。
「まさか唇を奪おうとでも? もしそうなら言語道断だ。シュバルツ国の姫を軽んじて愚弄しているともとれる」
「……っ! いえ、そんなつもりは……。その……、失礼しました」
 バートはあからさまにうろたえたあと、すすっと数歩あとずさった。フィースの気迫に押されているようにも見える。
 アリシアはダンスホールの床に視線を落としたままバートに言う。
「さ、先ほどのお話は、よく考えさせてください。……少し頭を冷やしてきます」
 夜風に当たれば冷静になれるだろう。
 アリシアがテラスへ向かおうとしていると、
「……姫様。おひとりでは危ないですから」
 言いながら、いまだにバツが悪そうなバートをフィースは一瞥した。それから、彼女とともにテラスへと早足で出て行った。

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