いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第五章 05

 長身で体躯の大きなエリックの一撃はとても重い。受け止めるのがやっとの状態だ。弾き返すのは到底無理なので、うまく受け流すしかない。そうなると、とにかく防戦一方だ。
 体力的には分が悪いとエリックは自覚しているらしく、猛攻して打ち負かす気なのだ。
 凌げ。ひたすら凌いで機会を伺え。自分自身をそう鼓舞する。幸い、いまはとても集中している。まわりの声も視線もまったく気にならない。目の前にいる、赤い縮れ髪の男のことしか眼中にはない――。
(……なんだ? なにか、おかしい)
 体躯のわりに俊敏なのがエリックの持ち味なのだが、稀に動きが鈍くなる。疲れているのとは違う。
 フィースは彼の動きが鈍る瞬間を意識した。この違和感はなんなのだろう、と探りを入れる。
(――まさか)
 右側に避けたあとの彼の動きがどうもおかしい。次の動作までに半拍ほど遅れている。
  エリックの剣を受け止めるフィースの眉間には悲観しているようなシワが刻まれていた。
「――遠慮するな、フィース」
「……っ!」
 彼の小さな一言でフィースは確信する。
 いつだったかエリックが話してくれた。騎士団長に就任するよりも前に、隣国の小競り合いに応援として派遣されたとき、敵国の傭兵と揉み合って左目のあたりを岩にひどく打ち付けたことがあると――。
(……どうする。右側から攻めれば、きっと)
 だがそうして勝ったところでフェアではない。相手の弱みにつけこんで勝利しても、嬉しくない。
「あまりあなどるなよ」
「――っ!?」
 フィースは間一髪のところでエリックの剣を避けた。頬に刃が触れるか否かのところだった。いまのは正直、危なかった。
(そうだ……。ごちゃごちゃと考えてる場合じゃない)
 歯を食いしばり、全身全霊で反撃に出る。
 すべては、勝利のために。
 欲しいものを、得るために。


「――おめでとう、フィース。今日からこの椅子はおまえのものだ。……まあ、おまえが本来欲しがってるのは別のモンだけど」
 決闘終了後。団長室を訪ねたフィースは浮かない顔をしていた。
 エリックはというと、さっそく荷物の整理を始めていた。
「……おめでたくない」
 フィースは苦虫を噛み潰したような表情のまま続ける。
「エリック、あなたは……左目が」
「ああ。察しのとおりだ。ほとんど見えない。外傷性の網膜剥離だそうだ。もう、手遅れなんだとよ」
 ――やはりそうなのだ。そう思うとよけいに落胆した。
 彼は自分にとってヒーローのような存在だった。幼い時分には本当にその通りで、強くたくましくなににも屈せず、優しく導いてくれる――そんな、偉大な男。
 言いようのない喪失感とともに、みじめな思いすら湧き起こってきてしまう。左目の視力を失い辛い思いをしているのはまさしくエリックだというのに。
「……俺は、勝つためにそれを利用した。そうしなければ勝てなかった」
「それがどうした? 相手の弱点を見つけて隙を突くのは至極当然のことだ。ほら、ボサッとしてないでちょっとは手伝え。そこの棚の荷物を袋に詰めてくれ。整頓して入れろよ。おまえはどうも乱雑なところがある。袋に入っていればいいってもんじゃない」
 フィースは麻布の袋を受け取り棚へ歩いた。彼が趣味で部屋に置いていた動物の置物を麻袋に詰めていく。
「もともと俺に騎士団長を譲るつもりだったんでしょう? 決闘の手はずは、俺が退団の相談をする前から進めていたんだ」
「……引き出しに置くものは数をしぼれよ。なんでも詰め込むのはよくない。机仕事は効率が大事だ」
「俺の話、聞いてますか」
「聞いてるって。おまえは騎士団の統率には向いてると思うが、机仕事はどうも信用ならない。書類を失くしたりするなよ? 大臣どもにネチネチと日がな一日叱られるぞ」
「だから……っ」
 置物を袋に詰めるのをやめて振り返る。すると、髪の毛をくしゃくしゃとかき乱された。
「でかくなったなぁ、フィース」
「……エリックのほうが長身だ」
「ふん、気づいてないだろ。俺とおまえの身長差は数ミリだけだ。俺の態度がでかいから、そう見えるだけなんだよ」
 そうしてほほえんだ彼は、憑き物が落ちたようにおだやかな表情をしていた。

前 へ    目 次    次 へ