いたずらな花蜜 ~妖精がつなぐ未発達な恋心~ 《 第六章 06

 アドニスに指摘され、アリシアは照れ笑いを見せる。
「ええ。今日は結婚の報告に来たの」
『おめでとう! 結婚式はいつ?』
「来月の初めよ」
『じゃ、僕らも呼んで! というか一緒に式を挙げさせて!』
「「えっ」」
 アリシアとフィースが声をそろえて言った。ふたりは顔を見合わせ、ふっと息を漏らして同時に笑みを浮かべた。


 フィースとの結婚式を目前に控えたある日のことだった。
「姫様にお手紙をお持ちいたしました。ご婚約者様からです」
「え? そう、ありがとう」
 ルアンド以外の者がそうして手紙を持ってくるのは珍しい。なぜだろうと疑問に思いつつ侍従から手紙を受け取り、その中身を確認する。
 ――差出人は、アリシアが想う婚約者からではなかった。
「姫様。バート・カノーヴィル侯爵が城門でお待ちです」
 侍従は扉の前にいるのだが、彼の声はやけに大きく聞こえた。よく通る声なのだと思う。
 アリシアは手紙を机の上に置き、真っ直ぐに前を見据える。
「あなた、この城の侍従ではないわね?」
 ふだんはルアンドや侍女としか接する機会がないので他の侍従はほとんど顔を知らない。
(必要ならば見張りを呼ばなければ)
 扉の向こう側には見張りの騎士団員がいるはずだ。少し大きな声を出せばすぐに駆けつけてくれる。
 白髪まじりの侍従はいっさい表情を変えずアリシアの質問に答える。
「――いいえ、このシュバルツ城の者です。つい先日までブロッサム国におりましたが。……姫様。どうかカノーヴィル侯爵にお会い下さい。おふたりきりで」
 やけに眼光が鋭い侍従だった。どことなく威圧感がある。そのせいで緊張し始めてしまったが、気取られないように平静を装ってきっぱりと告げる。
「会えないわ。カノーヴィル侯爵からの結婚の申し入れは正式にお断りしたはずよ。お気持ちは嬉しいけれど、わたくしにはすでに誰もが認めた婚約者がいる」
「侯爵は姫様がお会いになられるまでいつまででも馬車のなかでお待ちになるとおっしゃっています」
「そんな……」
 他国の侯爵を馬車のなかで何時間も果てなく待たせるのは外聞が悪いし、門前払いするのもこちらとしては少し調子が悪いというのが実情だ。
「……わかったわ。では一時間後に、城の応接間で。あなたと、それからルアンドも同席する旨をカノーヴィル侯爵に伝えて」
「かしこまりした」
 老年の侍従は深々と頭を下げて部屋から出て行った。
 アリシアは執務用の椅子に座ったまま小さくため息をつき、窓ぎわに目を向ける。彼女の視線の先には萌黄色の髪の少年妖精がいた。
「どうしましょう、アドニス。私、言いくるめられたりしないかしら」
 アドニスとリリアンはかつてのようにアリシアとフィースに憑いている。合同挙式を挙げるためだ。
『うーん……』
 アドニスは窓の桟に腰掛けるそぶりをして腕を組んでいる。
『あっ! 彼は確か非現実的なことが嫌いだったよね? 任せて、僕にいい考えがある! もしアリシアがピンチになったら、僕が助けてあげるっ!』
「ありがとう。私も頑張ってはみるけど……。あなたがいてくれると、心強い」
 不安がにじみ出たかげりのある顔でアリシアは微笑した。


 約一時間後。アリシアはシュバルツ城の応接室にバート・カノーヴィル侯爵を迎えた。
 ソファで向かい合って座る。侍女がバートに紅茶を出したところでアリシアは口をひらく。
「わたくしはあなたに恋愛感情をいっさい抱いておりません」
 きっぱりと、毅然と。なんの誤解も生まれようがない言葉を選んだつもりだった。
「ああ、王女殿下。どうか恥ずかしがらないで下さい」
「ですからっ、恥ずかしがるとかそういうことではありません。私が愛しているのは――」
 すうっと息を吸い込み、整える。
「フィース・アッカーソン、ローゼンラウス侯爵です」
 改めて言葉にしてみて、その気持ちがいっそう強くなったような気がする。
 この想いには少しも迷いがない。たとえるならば強固な岩盤だ。なにを言われても、どんなことが起ころうとも決して揺るがない自信がある。
「……もしそうだとしても、私にもチャンスを下さいませんか」
 アリシアは険しい表情のまま無言で首を横に振った。
「数日でいいのです。私とふたりきりで過ごしていただければ、きっと」
「……ご冗談を」
 彼にもそうとわかるように眉をひそめてみせた。不快感を全力で表現する。しかし暖簾に腕押しのようだ。バートはなんでもない顔でティーカップを手に取った。
(ふたりきりで、なんて)
 いまならわかる。男性とふたりきりで過ごすことは貞淑さを欠いている。将来を誓い合った仲ならともかく、それ以外の異性とは絶対にふたりきりになってはいけないといまは思う。これまで幾度となくフィースと密室でふたりきりになってきた自分の行動は完全に棚に上げているが。
(ルアンドも同意見みたいだけど)
 ルアンドもまたアリシアと同じように、いつにも増してしかめっ面だ。しかし侍従という彼の立場上、他国の侯爵に物申すことなどできない。
 アリシアはちらりとアドニスを見やった。すると妖精は親指を立ててウィンクをした。
(頼むわね、アドニス)
 彼の言う「いい考え」がなんなのか聞かされていないので、アドニスがなにをするつもりなのかわからない。なんにせよ、彼は人や物に触れることができないのだから、手段はごく限られているように思う。
 アドニスはフヨフヨと空中を漂いながらバートに近づく。アリシアは静かにそれを見守っていた。
「――っ!?」
 紅茶をすすっていたバートが急にきょろきょろとあたりを見まわし始めた。カップをソーサーに戻す手がおぼつかない。ガチャンッとカップが割れてしまいそうな音がした。
「い、いま……なにかおっしゃいましたか?」
 バートの声は震えていた。
「いいえ、なにも。ねえ、ルアンド。なにか聞こえた?」
 ルアンドは首だけを横に数回振った。バートは彼と懇意の侍従にも同じことを尋ねていたが、返答は当然、否だ。
 バートの顔色がしだいに青みを帯びていく。

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