「あ、あの妖精の話は……っ。まさか、そんな」
いよいよ本格的に青ざめたバートはあわてふためいたようすでソファから立ち上がった。
「きっ、急用を思い出しました。しっ、失礼します……ッ」
取り乱したバートはどうしてか股間を押さえて応接室を出て行った。彼がこの城に寄越したと思われる老年の侍従は、さもいぶかしみながら侯爵のあとを追った。
「ねえアドニス。彼をどうしたの?」
私室に戻ってからアリシアはアドニスに尋ねた。バートのあのあわてようは尋常ではなかった。それまでなにを言ってもまったく帰る気配がなかったというのに、いったいどうなっているのだろう。
『大したことはしてないよ! ただ、彼にだけ聞こえるようにちょっぴり脅かしただけ』
「なにを言ったの? 彼、すごいあわてようだったじゃない」
アドニスはゴホンと大仰に咳払いをする。
『ユリオネの精を死に至らしめた罪は重い。即刻この地から立ち去れ。でなければ下半身を八つ裂きにするぞ』
アリシアは唖然とした。アドニスの声は姿形に似つかわしくなく、とてつもなく低い。どこからそんな声を出しているのだろう。
『――って、何度も言ってあげたんだ! リリアンは死んでなんかいないけどねっ。あぁ、結婚式が楽しみだなぁ。ムフフッ』
「そ、そうなの……。まあとにかくありがとう、アドニス。おかげで助かった」
『ふ、ふぅぅん! どういたしまして!』
アドニスお得意の妙なダンスが始まった。ヒトの姿であってもその踊りはやはりおかしくて、アリシアは笑いをこらえきれず「ふふっ」と声を漏らした。
いま聞こえている鐘の音は、空耳ではない――。
永遠の愛を誓う口付けはとても長かった。あやうく舌を割り入れられそうになり、あせる。
正式に婚約が成ってからの彼はいつもこんな調子だ。
人目をはばからず口付けてきたり触れてきたり、ウェディングドレスの試着のときですらそうだった。
決して嫌ではないのだけれど、とにかく恥ずかしい。侍女たちにひどく冷やかされる。
誓いの口付けをなんとか軽めに終えたあと、主祭壇のかたわらに急ごしらえで備えつけた小さな祭壇を見やった。
秘密の花園でふたたびアリシアとフィースに宿ったアドニスとリリアンが、真っ白なタキシードとウェディングドレスを身にまとって仲睦まじく寄り添っている。
彼らの衣装は擬態らしいのだが、こうなるといったいなにが本物なのかよくわからない。
しかしそれは愚問だ。ふたりはとても幸せそうに愛を誓い合っている。
そんなふたりをほほえましく見つめたあとで、アリシアは年上の幼なじみ騎士とともにウェディングアイルを歩いた。
シュバルツ国の第一王女がローゼンラウス侯爵夫人となった日。
挙式を終えたアリシアとフィース、それからふたりの妖精はローゼンラウス領の邸宅で初めての夜を過ごしていた。
「ねえフィース……。その……人前ではあまりベタベタしないほうがいいんじゃないかしら」
「……いまはだれもいない」
たしかに彼の言うとおり、寝室にはアリシアとフィース以外の人間はいない。
――ふたりはいまだに挙式の正装をしたままベッド端に腰掛けていた。フィースはどういうわけかアリシアがナイトドレスに召し替えるのを許さなかった。純白のウェディングドレスの腰もとにしっかりと腕を絡め、どこかなまめかしい手つきで彼女の腰をさすっている。
ヒトの姿は、たしかにほかにはないのだが――。
「アドニスたちがいるわ」
アリシアのななめ上には、抱き合ってなにやらヒソヒソ話をしているアドニスとリリアンがいた。
「あっちはあっちでいちゃいちゃしてる。……イヤ? こうして俺にさわられるのは」
ぶんぶんと首を横に振って否定する。嫌なはずがない、と全力で表現する。
「う、嬉しい、けど……恥ずかしいの。晩餐会でだって、フィースったら……」
「きみは俺だけのものだってわかるようにしてるんだ」
凛々しい面が間近に迫る。彼の頬がほんのりと赤いのは、酒が入っているせいだ。
「あきらめて、アリシア。……そのうち慣れるよ」
「んっ……!」
今日いったい何度目かわからない口付けに見舞われ、しかし条件反射で目を閉じる。
すぐに舌が割り入ってきて、もはやこういうキスが挨拶ていどのそれと同じようにすら感じてしまう。
常識的な感覚が麻痺している。彼は先ほど「そのうち慣れる」と言ったけれど、果たして慣れてしまってよいものだろうかと葛藤せずにはいられない。
それでも、舌を絡め合わせるのは気持ちがよい。彼の唇が遠のくのを寂しく思ってしまうのは重症だ。彼の愛に溺れすぎているような気がする。
ゆっくりと、目を開ける。
「――あれ。きみの瞳、また萌黄色になってる。……やられたな」
「えっ?」
アリシアはパチパチとまばたきをした。いつの間にかアドニスたちの姿が消えている。
下半身はたしかに熱い。けれど、フィースに口付けられたときはいつもそうなってしまうので――。
(いたずらされたなんて、気づかなかった)
ひそかに情けない気持ちになっているアリシアをよそに、フィースの口角はさも楽しそうに上がっている。
「ど、どうしてそんなに嬉しそうなの?」
「んー……?」
頬を撫でたどっている彼の手は熱い。
「いまだから言うけど、きみがアドニスにいたずらをされているとき俺はいつも喜んでた。心身ともに、ね」
「……っふ」
不意にちゅっ、といたずらっぽくキスを落とされた。
「どれどれ。どんな具合か確かめてみよう」
「ひゃっ!」
何層にも織り重なったウェディングドレスの裾がバサリとひるがえり、大きなベッドに所狭しと広がる。
嬉々としたようすでアリシアをベッドに押し倒したフィースはドレスの裾をいそいそとめくり上げた。
「やっ、フィース……! だめだよ、ちゃんと着替えてから……」
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いよいよ本格的に青ざめたバートはあわてふためいたようすでソファから立ち上がった。
「きっ、急用を思い出しました。しっ、失礼します……ッ」
取り乱したバートはどうしてか股間を押さえて応接室を出て行った。彼がこの城に寄越したと思われる老年の侍従は、さもいぶかしみながら侯爵のあとを追った。
「ねえアドニス。彼をどうしたの?」
私室に戻ってからアリシアはアドニスに尋ねた。バートのあのあわてようは尋常ではなかった。それまでなにを言ってもまったく帰る気配がなかったというのに、いったいどうなっているのだろう。
『大したことはしてないよ! ただ、彼にだけ聞こえるようにちょっぴり脅かしただけ』
「なにを言ったの? 彼、すごいあわてようだったじゃない」
アドニスはゴホンと大仰に咳払いをする。
『ユリオネの精を死に至らしめた罪は重い。即刻この地から立ち去れ。でなければ下半身を八つ裂きにするぞ』
アリシアは唖然とした。アドニスの声は姿形に似つかわしくなく、とてつもなく低い。どこからそんな声を出しているのだろう。
『――って、何度も言ってあげたんだ! リリアンは死んでなんかいないけどねっ。あぁ、結婚式が楽しみだなぁ。ムフフッ』
「そ、そうなの……。まあとにかくありがとう、アドニス。おかげで助かった」
『ふ、ふぅぅん! どういたしまして!』
アドニスお得意の妙なダンスが始まった。ヒトの姿であってもその踊りはやはりおかしくて、アリシアは笑いをこらえきれず「ふふっ」と声を漏らした。
いま聞こえている鐘の音は、空耳ではない――。
永遠の愛を誓う口付けはとても長かった。あやうく舌を割り入れられそうになり、あせる。
正式に婚約が成ってからの彼はいつもこんな調子だ。
人目をはばからず口付けてきたり触れてきたり、ウェディングドレスの試着のときですらそうだった。
決して嫌ではないのだけれど、とにかく恥ずかしい。侍女たちにひどく冷やかされる。
誓いの口付けをなんとか軽めに終えたあと、主祭壇のかたわらに急ごしらえで備えつけた小さな祭壇を見やった。
秘密の花園でふたたびアリシアとフィースに宿ったアドニスとリリアンが、真っ白なタキシードとウェディングドレスを身にまとって仲睦まじく寄り添っている。
彼らの衣装は擬態らしいのだが、こうなるといったいなにが本物なのかよくわからない。
しかしそれは愚問だ。ふたりはとても幸せそうに愛を誓い合っている。
そんなふたりをほほえましく見つめたあとで、アリシアは年上の幼なじみ騎士とともにウェディングアイルを歩いた。
シュバルツ国の第一王女がローゼンラウス侯爵夫人となった日。
挙式を終えたアリシアとフィース、それからふたりの妖精はローゼンラウス領の邸宅で初めての夜を過ごしていた。
「ねえフィース……。その……人前ではあまりベタベタしないほうがいいんじゃないかしら」
「……いまはだれもいない」
たしかに彼の言うとおり、寝室にはアリシアとフィース以外の人間はいない。
――ふたりはいまだに挙式の正装をしたままベッド端に腰掛けていた。フィースはどういうわけかアリシアがナイトドレスに召し替えるのを許さなかった。純白のウェディングドレスの腰もとにしっかりと腕を絡め、どこかなまめかしい手つきで彼女の腰をさすっている。
ヒトの姿は、たしかにほかにはないのだが――。
「アドニスたちがいるわ」
アリシアのななめ上には、抱き合ってなにやらヒソヒソ話をしているアドニスとリリアンがいた。
「あっちはあっちでいちゃいちゃしてる。……イヤ? こうして俺にさわられるのは」
ぶんぶんと首を横に振って否定する。嫌なはずがない、と全力で表現する。
「う、嬉しい、けど……恥ずかしいの。晩餐会でだって、フィースったら……」
「きみは俺だけのものだってわかるようにしてるんだ」
凛々しい面が間近に迫る。彼の頬がほんのりと赤いのは、酒が入っているせいだ。
「あきらめて、アリシア。……そのうち慣れるよ」
「んっ……!」
今日いったい何度目かわからない口付けに見舞われ、しかし条件反射で目を閉じる。
すぐに舌が割り入ってきて、もはやこういうキスが挨拶ていどのそれと同じようにすら感じてしまう。
常識的な感覚が麻痺している。彼は先ほど「そのうち慣れる」と言ったけれど、果たして慣れてしまってよいものだろうかと葛藤せずにはいられない。
それでも、舌を絡め合わせるのは気持ちがよい。彼の唇が遠のくのを寂しく思ってしまうのは重症だ。彼の愛に溺れすぎているような気がする。
ゆっくりと、目を開ける。
「――あれ。きみの瞳、また萌黄色になってる。……やられたな」
「えっ?」
アリシアはパチパチとまばたきをした。いつの間にかアドニスたちの姿が消えている。
下半身はたしかに熱い。けれど、フィースに口付けられたときはいつもそうなってしまうので――。
(いたずらされたなんて、気づかなかった)
ひそかに情けない気持ちになっているアリシアをよそに、フィースの口角はさも楽しそうに上がっている。
「ど、どうしてそんなに嬉しそうなの?」
「んー……?」
頬を撫でたどっている彼の手は熱い。
「いまだから言うけど、きみがアドニスにいたずらをされているとき俺はいつも喜んでた。心身ともに、ね」
「……っふ」
不意にちゅっ、といたずらっぽくキスを落とされた。
「どれどれ。どんな具合か確かめてみよう」
「ひゃっ!」
何層にも織り重なったウェディングドレスの裾がバサリとひるがえり、大きなベッドに所狭しと広がる。
嬉々としたようすでアリシアをベッドに押し倒したフィースはドレスの裾をいそいそとめくり上げた。
「やっ、フィース……! だめだよ、ちゃんと着替えてから……」