ロストヴァージンまでの十日間 《 第十五話 お部屋探し

初見の実家を訪ねたあと、またしても行き先がわからないまま車に乗っていた。不動産屋の駐車場に入って行ったところで千夏は彼に尋ねる。

「引越しでもするんですか?」

「……意外と鈍いな、千夏は。俺たちの新居探しに決まってるだろう」

(また、名前……。それに、新居って)

彼は千夏の名を呼ぶのに何のためらいもないようだけれど、呼ばれるほうとしては違和感だらけだった。ここ最近はアンタ、とかオイ、としか呼ばれていなかったからなおさらだ。
車を降りて不動産屋の店舗に向かっているあいだも、まだまだこのひとと結婚するなどという実感はなくて、でも確実に以前よりは抵抗がなくなっていることを自覚していた。

それからふたりは営業マンに連れられていくつか物件を見てまわった。初見は建売の一軒家を購入するつもりらしい。

「気に入った物件はあったか?」

不動産屋をあとにしてふたたび車に揺られていると、初見がそう尋ねてきた。正直なところ、どこもあまりよくなかったから、それをそのまま伝える。

「ああ、同感だ。やっぱり新築するかな……」

「新築!? そんなゼイタクな」

「キャッシュで一括払いするくらいの蓄えはあるから心配するな。もちろん会社の金じゃない」

「いつなにがあるかわからないんだから、そんなにポンと使ってしまうのはよくないと思います」

初見はククッと笑い声を漏らして千夏のマンションの来客用駐車場に車を停めた。

「なにがおかしいんですか」

「いや、そういう考えは実に千夏らしい。結婚したら、俺は尻に引かれそうだなと思った」

所帯染みた会話をしているのが急に恥ずかしくなった。千夏はそそくさと車を降りて、当然のようについてくる彼を伏し目がちに見やった。
先日、初見は千夏を部屋の前まで送ってくれたから、今日もそのつもりだろう。

「今日は連れまわして悪かったな。俺ばかり楽しんでしまった。ゆっくりやすめ」

部屋の前でそう言って、初見は千夏の頭をそっと撫でた。視線が絡んで、見つめ合う格好になる。

(もう、また……。去りぎわにそんなこと言われたら、私……)

「……あの、簡単なものしか作れませんけど、一緒に夕飯でもどうですか」

つい引き留めてしまった。このまま別れるのが嫌なのだと、このときはわかっていなかった。
彼が返事をするまでには、ほんの少し間があった。

「ああ、いただいていこう。電話をかけるから、先に入っててくれ」

千夏は「はい」とうなずて玄関の鍵を開けてなかへ入った。
靴を整理していると、誰かに電話をする初見の声が聞こえてきた。

『――そういうわけだから、今日は行けなくなった。ああ、悪いな……また今度、埋め合わせする。――そうだな、いつか会わせるから楽しみにしておいてくれ』

盗み聞きするつもりはなかったけれど、彼の声はよく通るから丸聞こえだった。
それからすぐに玄関扉が開いて、初見が入って来た。

「あ、の……すみません。電話の声、聞いてしまいました。もしかして、今夜は先約があったんですか?」

「学生時代の友人と飲む約束をしていた。そいつとはよく顔を合わせてるから、気にしなくていい」

「でも、何だか悪いです」

「俺が千夏の手料理を食べたいだけだ」

「……あまり期待しないでくださいね」

千夏はグルンときびすを返して靴を脱ぎ、部屋に入った。部屋のなかは少し蒸していて、よけいに頬が熱くなった。

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