ロストヴァージンまでの十日間 《 第十九話 三十路前の悩み

初見がゴルフに出かけた日曜日の夕方、千夏は同僚の結花に呼び出されて樹生の居酒屋にきていた。夕方といってもまだ4時過ぎだから、ふたりのほかに客はいない。

「いいなあ、社長夫人かあー」

「ちょ、結花……っ、そういう言いかたしないで」

「なんでよ、そのとおりじゃない」

どこで嗅ぎつけたのか、結花は千夏と初見の婚約を知り、電話では埒が明かないからと言って呼び出されいまに至る。

「……千夏さん、兄貴と付き合うことにしたわけ?」

「うん。……初見さんのことが、好き」

恥ずかしさを押し殺して、千夏はハッキリと言った。樹生が好意を寄せてくれているのが本気でもそうじゃなくても、伝えておいたほうがいいと思ったからだ。
彼はしばらくなにも言わなかった。沈黙のあと、「そっか」とだけ小さくつぶやいた。
この日このあと、思わぬ事態を招くことになるのだとは予測もしていなかった。

「いいなあいいなあ、結婚」

結花は焼酎が入ったグラスをクルクルとまわしながら物憂げだ。

「結婚、すればいいじゃない。お相手はいるんだから」

「それがねー、アイツったらなかなかプロポーズしてこないのよ。だからいっそ既成事実を作っちゃおうと励んでるんだけど、できなくてさ。そろそろ本気で不妊治療しようかな」

「いや、その前にきちんと結婚しなさいよ」

30歳を前にすると、やはり色々と考えてしまう。周りの友人はどんどん結婚していくし、子どもだってやっぱり欲しい。年齢が上がると色んなものが増えていく。結婚願望、社会的責任、妊娠リスク。挙げ出したらキリがない。

(初見さんは強引だと思ってたけど、ちょうどいい機会だよね……。むしろ、ゼイタクだ)

結花の恋人である出沢のように押しの弱い男だったら、素直とは言えない性格の千夏はいつまで経っても結婚なんてできそうにない。それを思うと、自分は恵まれていると思った。

「いっそ結花からプロポーズしちゃえば?」

「そうね……そうしようかな。でも、やっぱり怖い」

「……年齢差、気にしてる?」

「そりゃそうよ。もっと若い子のほうがって、思っちゃうもん」

うつむく横顔は少女のように儚げに見えた。不安でしかたがなくて、いまにも押し潰されそうな顔をしている。仕事の時には絶対に見せない表情だ。

(あの馬鹿、結花にこんな顔させるなんて)

千夏はそっと友人の背をさする。

「大丈夫、出沢のパートナーは結花にしか務まらないって。結花しかいない」

もっとうまく言えたらいいのに、それが精一杯だった。それは心から思ったことで、彼女たちはほかに替えがきかない恋人たちだ。相思相愛とでも言うべきか。

(替えがきかない、か……私たちも、そんなふうになりたい)

たった数時間だ。彼に会っていないのは。そばにいないと不安になるのは、絆が足りないせいなのだろうか。
恋愛初心者の千夏には、わからない。

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