樹生の居酒屋を出て結花と別れた数時間後だった。珍しく夜に母親から電話があった。お風呂で濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら話す。
「どうしたの、夜にかけてくるなんて珍しいね」
「あのね千夏、さっきね、初見さんのお母さんから電話があって――」
それから千夏はろくにあいづちも打たずにただ黙って聞いていた。
耳から入ってくる母親の言葉は頭のなかをすり抜けていく。
(婚約、破棄……?)
たった四文字の言葉を理解できない。単純なことなのに。
「初見さんのお母さんが言うには、あなたが会社では素行がよくないっていう話を、信頼できるひとから聞いたらしいんだけど……本当なの?」
心当たりなら山ほどある。新人への口厳しさが社内で有名になっているのは知っている。
(ああ、そっか。天に唾を吐いてきた結果がこれなんだ)
「うん、本当だよ。ごめんね、お母さん」
「……なにか理由があるんでしょう? それに、私に謝ることないわ」
理由?そんなものあるのだろうか。仕事ができなくて当たり前の新人につらく当たっていたのは、単なる憂さ晴らしかもしれない。
自分は何て心の狭い人間なんだろう。いまさら自覚して、落胆する。やっぱり、こんな自分では彼には釣り合わないのだ。
「理由なんてないよ。とにかく、ごめん。私、もう寝るから……おやすみ」
まだなにか言いたげな母親を無視して、千夏は電話を切った。
濡れた髪のままベッドに大の字になる。
(初見さんと……結婚、できない)
実感すると、自然と涙があふれた。少し前まで彼との結婚なんて望んでいなかったはずなのに、いざできないとなると泣いてしまうなんて、自分勝手もはなはだしい。
けれどあきらめきれないのも事実で、千夏は震える手で携帯電話をふたたび手に取った。
(……つながらない)
勇気を振り絞って初見に電話をかけた。機械音声が、電波が届かないところに彼はいると告げる。
(届かない……)
電話はつながらない。気持ちは届かない。届かないところに、彼はいる。
「う……っく、うう」
泣いた。声を出して泣いたのは久しぶりだった。最近はなにかに執着することなんてなかったし、なにかに感動するなんてこともなかった。鈍くなっていたのだ。傷つかないように、自分自身を守るために。
(こんなことなら、さっさと抱いてもらえばよかった)
そう思った自分をすぐに恥じて、さらに落ち込む。
(……会いたい)
募る想いに蓋をするようにベッドにうつ伏せになって、あふれる涙を枕でせき止めた。
「どうしたの、夜にかけてくるなんて珍しいね」
「あのね千夏、さっきね、初見さんのお母さんから電話があって――」
それから千夏はろくにあいづちも打たずにただ黙って聞いていた。
耳から入ってくる母親の言葉は頭のなかをすり抜けていく。
(婚約、破棄……?)
たった四文字の言葉を理解できない。単純なことなのに。
「初見さんのお母さんが言うには、あなたが会社では素行がよくないっていう話を、信頼できるひとから聞いたらしいんだけど……本当なの?」
心当たりなら山ほどある。新人への口厳しさが社内で有名になっているのは知っている。
(ああ、そっか。天に唾を吐いてきた結果がこれなんだ)
「うん、本当だよ。ごめんね、お母さん」
「……なにか理由があるんでしょう? それに、私に謝ることないわ」
理由?そんなものあるのだろうか。仕事ができなくて当たり前の新人につらく当たっていたのは、単なる憂さ晴らしかもしれない。
自分は何て心の狭い人間なんだろう。いまさら自覚して、落胆する。やっぱり、こんな自分では彼には釣り合わないのだ。
「理由なんてないよ。とにかく、ごめん。私、もう寝るから……おやすみ」
まだなにか言いたげな母親を無視して、千夏は電話を切った。
濡れた髪のままベッドに大の字になる。
(初見さんと……結婚、できない)
実感すると、自然と涙があふれた。少し前まで彼との結婚なんて望んでいなかったはずなのに、いざできないとなると泣いてしまうなんて、自分勝手もはなはだしい。
けれどあきらめきれないのも事実で、千夏は震える手で携帯電話をふたたび手に取った。
(……つながらない)
勇気を振り絞って初見に電話をかけた。機械音声が、電波が届かないところに彼はいると告げる。
(届かない……)
電話はつながらない。気持ちは届かない。届かないところに、彼はいる。
「う……っく、うう」
泣いた。声を出して泣いたのは久しぶりだった。最近はなにかに執着することなんてなかったし、なにかに感動するなんてこともなかった。鈍くなっていたのだ。傷つかないように、自分自身を守るために。
(こんなことなら、さっさと抱いてもらえばよかった)
そう思った自分をすぐに恥じて、さらに落ち込む。
(……会いたい)
募る想いに蓋をするようにベッドにうつ伏せになって、あふれる涙を枕でせき止めた。