伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 第一章 02

 エリスが掃除を始めると、ジェラルドは食い入るようにそれを見つめていた。無遠慮であること極まりなく、これではまるで監視だ。やりづらいことこの上ない。暇なのですかと聞いてやりたかったが、彼が領主と医者を兼業していることは知っているのでさすがに控えた。
 ジェラルドの執務室はよく見ると埃だらけだった。いつからここは放置されていたのだろう。ともあれ掃除のしがいがあるというものだ。エリスは彼の視線を気にかけず仕事に勤しんだのだった。


 ジェラルドがエリスに与えた仕事は執務室の掃除だけだった。決まって、彼が在室中に掃除をする。相変わらず監視されているようで居心地が悪かったが、慣れれば気にならなかった。目つきの悪い置物だと思うことにした。
 掃除以外にもなにか仕事をさせてくれ、とせがんでもジェラルドは「なにもするな」と言うばかりだ。何度もしつこく御用伺いをしていると終いには「ここの本でも読んでいろ」とあしらわれた。
 エリスは暇を持て余し、執務室の本棚を漁る。どれも難しそうな医学書ばかりだ。

(なるべく薄い本を探そう)

 初心者向けの本はないだろうかと物色する。執務室の壁の半分は本棚だと言っても過言ではない。エリスは部屋の中を右往左往していた。

「……なにをしている?」

 診察の合間に領主の仕事をしに来たのか、ジェラルドは白衣を着て執務室にやって来た。ドレスシャツにクラヴァットを締め、紺色のジレの上に白衣を羽織っている。

「お言いつけどおり本を読もうかと思ったのですがどれも難しくて。一番易しい本はどちらでしょう」
「主人《あるじ》に司書の真似事をさせる気か、きみは」

 そう文句を言いながらもジェラルドはツカツカと歩いて本棚の高いところにある薄い本を手に取った。

「入門書だ。これすら理解できないようなら読書はあきらめて昼寝でもするんだな」

 エリスはあからさまにむうっと頬をふくらませてジェラルドから本を受け取る。

(是が非でも理解してやるんだから。そうよ、医学書を読み込んで知識を増やせば少しはご主人様の役に立てるかも。ぎゃふんと言わせてみせる)

  エリスはジェラルドをジロリと挑発的に睨んだあと立ったまま本を開いた。

(絵が多い。これなら何とかなりそう)

 もともと読書は好きなほうだ。医学書を読むのは初めてだが、文体はさほど難解ではなく要所は図説してある。
 熱心に本を読むエリスを尻目にジェラルドは壁際に置いてあるティーワゴンの前に立ち自ら茶を淹れ始めた。

「――あ、それは私が」
「いい、かまうな。きみには俺好みの茶は淹れられない」
「それは、まあ……。でも教えてくださればきっとできます」
「けっこうだ。それより、もっと集中して読み込め」
「……はい」

 うなるような返事をしてエリスはふたたび本に目を向ける。それからは本当に読書に集中していた。ジェラルドが出て行ったことにも気がつかなかったくらいだ。

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