伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 第一章 03

「――ひどい有り様だ」

 読み始めてどれくらいの時間が経ったのかわからない。陽は傾き、室内が薄暗くなっていることに気がついたのはそうしてジェラルドに声を掛けられてからだった。
 エリスは書棚をひっくり返す勢いで医学書を読み漁っていた。そこここの棚という棚に読んだ本が散乱している状態だった。

「も、申し訳ございません。すぐに片付けます」

 どの本がどこにあったのかはわかる。タイトル順に並んでいるからだ。エリスはそそくさと本を片付けていった。しかし初めにジェラルドが取ってくれた本だけはかなり背伸びをしなければもとの場所に戻すことができなかった。つま先立って右腕を垂直に伸ばし、本を棚へ向かって中指で押す。

「――あ」

 急にあたりが暗くなったように感じたのはすぐ後ろにジェラルドがいるからだ。エリスの腕を覆うようにして本を棚へ押し込んだ。
 礼を述べようとしているときだった。

「きみはチビだな。それとも成長期はこれからか?」
「なっ!」

 彼の目は明らかに胸に向けられている。エリスはふんっ、と鼻息を荒くした。

(ちょっとは優しいところがあるかも、なんて思った私が馬鹿だった!)

 エリスは憤然としたまま「今日はこれで失礼しますっ」とぶっきらぼうに言い捨ててジェラルドの執務室を後にした。


 伯爵邸の廊下を大股で歩く。

(どうせ私の胸は小さいわよ……! でもどうしようもないじゃない、こればっかりは)

 ひとりそのことを嘆き、なかば涙目になりながらエリスは使用人宿舎へ向かっていた。
 廊下の角を曲がったところで、エリスはハッとして端に寄った。来客だ。
 深々と頭を下げて客をやり過ごす。ジェラルドの兄、フィース・アッカーソン、ローゼンラウス侯爵夫妻の姿はいままでにも何度か見かけたことがある。
 フィースはジェラルドと違って快活な印象だ。長らく伯爵家で働くメイドに聞いた話だが、周囲の人間――おもに年老いた親戚がなにかと兄弟を比較するせいでジェラルドは兄と対照的に引きこもりがちで偏屈な性格になっていったのだそうだ。

(ローゼンラウス侯爵夫人様、今日も麗しい)

 彼女はもとは王族だ。立ち居振る舞いは素人目に見ても洗練されている。その美貌を鼻にかけない柔らかな雰囲気はいつ見ても好印象だ。きっと言葉を交わすことは一生涯ないのだろうけれど、声も美しいに違いない。

(胸も、大きかったなぁ……)

 ああ、侯爵夫人と自分を比較するなど愚の骨頂だ。エリスはふるふると首を横に振り、使用人宿舎へとふたたび歩き始めた。

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