伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 第一章 05

 エリスは手近にあった本を棚から出してパラリとめくって内容を確認した。興味が湧いた本を厳選して10冊ほどをカウンターへ持って行き、リリアナに貸し出しの許可を受けた。
 図書館を出るころには陽はすっかり落ちていた。

(近道をしてみよう)

 伯爵邸内にある使用人宿舎まではいろんなルートでたどり着くことができる。エリスは敷地の見取り図を頭の中に思い浮かべて近道を探る。
 診察室の前を通りかかったときだった。明かりの灯った診察室でジェラルドが自ら掃除をしていた。エリスはとっさに木陰に隠れ、彼の様子をうかがう。

(ご主人様は本当に何でも自分でやってるのね)

 誰にも頼らず自らの手で仕事をこなすというのは立派だとは思うが――。
 エリスはその表情を暗く曇らせ、深いため息をついて静かに歩みを再開した。


 雲間から気まぐれに太陽がのぞくある日、エリスは今日もまたジェラルドの執務室で医学書を読み漁っていた。
 そこへ大げさなため息がどこからともなく聞こえてきた。

「俺がいないときは執務机を使え。ソファとテーブルも好きに使っていい。まったく、見苦しいこと極まりない」

 エリスは立ったまま書棚に本を立てかけてノートにメモを取っていた。

「ええと、だって……ご主人様の椅子やテーブルを使ってよいものかわかりませんでしたので」
「訊けばいいだろう」
「そう……ですね。申し訳ございません」

 じつのところ、ソファを使ってよいかと尋ねても「他人に自分のものを使わせたくない」と断られるだろうと踏んでいたので端《はな》から訊かなかったのだ。
 何でも自分でしなければ気が済まないくせに、自分の物を他人に使われるのは許容できるのか。

(よくわからない人ね)

 エリスは数冊の本をテーブルの上へ運び、それからノートを広げた。
 ジェラルドはというと右肩に左手をあてがって執務机の前の椅子に腰掛けた。書き物をしながらも終始そのような状態だった。

「揉みましょうか、肩」

 見るに見かねて尋ねてみる。

「好きにしろ」

 という返答には思いがけず面食らってしまった。

「それでは……少し失礼しますよ」

 執務机をまわり込んでジェラルドの後ろに立ち、白衣の両肩に手を乗せた。凝っているところを手探りしながら揉み込む。

「……上手いな」

 ぽつりと言われ、反応に困った。素直に「ありがとうございます」と返せばよいのだろうけれど、彼に褒められるのは初めてなので戸惑ってしまう。

「医学書で勉強しましたから。実践できて嬉しいです」
「ふん、俺は知識を立証する実験台というわけか」

 減らず口なのは二人ともだ。エリスはしばし無言でジェラルドの肩を揉んだ。本当にひどく凝っている。

「もっとまわりを……私を信用してください。過労で倒れちゃいますよ」

 何気なく言った。それで彼が変化を見せることなどまったく期待していなかった。

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