「いやぁ、こんなに可愛い看護助手がいるなんてなぁ。おじさんまた来ちゃうよ!」
看護助手を始めて一ヶ月ほどが経ったある日、腰を痛めたという中年の患者がエリスに言った。
「そんな、ダメですよー。どうかお大事になさってください」
男性は年甲斐もなく「はーい」と間延びした返事をする。エリスは彼に笑顔で手を振り診察室から送り出した。その様子をジェラルドはじいっと見つめている。
「……今夜、寝室に来い」
「はい。ええと、次は――」
酌でもさせられるのだろうと思いエリスは深く考えずに次の患者を呼んだ。
その夜、ジェラルドの寝室を訪ねると彼は既に酒を飲んでいた。ワインボトルにはもともとどれくらいの量が入っていたのかわからないが、もうほとんど空だ。
まだ夜はそれほど更けていない。一体いつから飲み始めたのだろう。
「御用はなんでしょうか」
ワインボトルはほとんど空だから、酌のために呼ばれたのではないだろう。
(また肩揉みかしら……)
彼に要求されることで思いつくのはもう一つあるけれど、それはあまり考えたくない。
「夜の寝室ですることは一つしかないだろう」
やけに平坦な声音だった。ジェラルドはいつだってそんな調子の物言いをするが、今夜はよけいに棘《とげ》が感じられる。彼がいまは執務服ではなくナイトガウンを着ているというのがいやに生々しい。
――いつもと、違う。
ソファに腰掛けて足を組むジェラルドの翡翠色の瞳がぎらぎらと光っているような錯覚に陥った。酒が入っているせいか彼の目は据わっている。なんだか怖い。
「……申し訳ございません、急用を思い出しました」
本能が「逃げろ」と言っている。エリスはジェラルドに背を向けてドアノブをつかんだ。
ところが開きかけた扉はそれ以上の力で内側から押し閉められた。
「――白々しい嘘をつくな」
ガチャンッと性急に内鍵を掛けたのはジェラルドだ。いつの間にか彼はエリスのすぐ後ろに立っていた。驚きとそれから恐怖をその顔ににじませたエリスの腕をジェラルドがつかんで引きずる。
「なん、ですか」
ベッドへ向かっているのがわかった。頭の中ではひっきりなしに警鐘が鳴っている。そこへ行ってはならない、と。
「やっ……!」
彼の手を振りほどいて逃げるつもりだった。これ以上はベッドの近くには行くまいとして歩くことを頑なに拒む。
するとジェラルドは「ちっ」とわざとらしく舌打ちをしてエリスを抱え上げた。彼女の靴を強引に脱がせて、放り投げる勢いでベッドに寝かせて馬乗りになる。
「なにするんですかっ」
「きみは患者にはずいぶんと……無駄に愛想がいいんだな」
ジェラルドが膝に乗っているせいで身動きが取れない。このまま話を続けるしかない。
「……無駄ってことはないです。笑顔が病に良いということは医師連盟も認めるところでしょう?」
ジェラルドは皮肉めいた笑みを浮かべる。
「はっ、ますます生意気を言うようになったな、この口は」
「むっ」
唇の両端を指でつかまれ中央に寄せられた。タコのようになった口をジェラルドはじいっと凝視した。
「……っ!?」
彼がなにを思ったのか、そしていまなにをされているのかすぐにはわからなかった。急に視界が暗くなったかと思うと唇に柔らかいなにかが当たった。
ジェラルドの唇だと認識するなり両手が彼を押し退けようと暴れ出す。
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看護助手を始めて一ヶ月ほどが経ったある日、腰を痛めたという中年の患者がエリスに言った。
「そんな、ダメですよー。どうかお大事になさってください」
男性は年甲斐もなく「はーい」と間延びした返事をする。エリスは彼に笑顔で手を振り診察室から送り出した。その様子をジェラルドはじいっと見つめている。
「……今夜、寝室に来い」
「はい。ええと、次は――」
酌でもさせられるのだろうと思いエリスは深く考えずに次の患者を呼んだ。
その夜、ジェラルドの寝室を訪ねると彼は既に酒を飲んでいた。ワインボトルにはもともとどれくらいの量が入っていたのかわからないが、もうほとんど空だ。
まだ夜はそれほど更けていない。一体いつから飲み始めたのだろう。
「御用はなんでしょうか」
ワインボトルはほとんど空だから、酌のために呼ばれたのではないだろう。
(また肩揉みかしら……)
彼に要求されることで思いつくのはもう一つあるけれど、それはあまり考えたくない。
「夜の寝室ですることは一つしかないだろう」
やけに平坦な声音だった。ジェラルドはいつだってそんな調子の物言いをするが、今夜はよけいに棘《とげ》が感じられる。彼がいまは執務服ではなくナイトガウンを着ているというのがいやに生々しい。
――いつもと、違う。
ソファに腰掛けて足を組むジェラルドの翡翠色の瞳がぎらぎらと光っているような錯覚に陥った。酒が入っているせいか彼の目は据わっている。なんだか怖い。
「……申し訳ございません、急用を思い出しました」
本能が「逃げろ」と言っている。エリスはジェラルドに背を向けてドアノブをつかんだ。
ところが開きかけた扉はそれ以上の力で内側から押し閉められた。
「――白々しい嘘をつくな」
ガチャンッと性急に内鍵を掛けたのはジェラルドだ。いつの間にか彼はエリスのすぐ後ろに立っていた。驚きとそれから恐怖をその顔ににじませたエリスの腕をジェラルドがつかんで引きずる。
「なん、ですか」
ベッドへ向かっているのがわかった。頭の中ではひっきりなしに警鐘が鳴っている。そこへ行ってはならない、と。
「やっ……!」
彼の手を振りほどいて逃げるつもりだった。これ以上はベッドの近くには行くまいとして歩くことを頑なに拒む。
するとジェラルドは「ちっ」とわざとらしく舌打ちをしてエリスを抱え上げた。彼女の靴を強引に脱がせて、放り投げる勢いでベッドに寝かせて馬乗りになる。
「なにするんですかっ」
「きみは患者にはずいぶんと……無駄に愛想がいいんだな」
ジェラルドが膝に乗っているせいで身動きが取れない。このまま話を続けるしかない。
「……無駄ってことはないです。笑顔が病に良いということは医師連盟も認めるところでしょう?」
ジェラルドは皮肉めいた笑みを浮かべる。
「はっ、ますます生意気を言うようになったな、この口は」
「むっ」
唇の両端を指でつかまれ中央に寄せられた。タコのようになった口をジェラルドはじいっと凝視した。
「……っ!?」
彼がなにを思ったのか、そしていまなにをされているのかすぐにはわからなかった。急に視界が暗くなったかと思うと唇に柔らかいなにかが当たった。
ジェラルドの唇だと認識するなり両手が彼を押し退けようと暴れ出す。