伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 第二章 07

 ジェラルドとは別の部屋がいい、とは言えない。宿代は前払いしなければいけなかった。一部屋分ですらエリスの手持ちでは足りなかった。

(ここって、貴族を相手にした……『そういう』宿、よね)

 異国情緒を楽しみながら性にふける、そういう店だろう。そんなところにジェラルドと一緒に入るのは気が引けるが、雨に濡れた体をどうにかしたかった。とにかく寒い。
 板張りの廊下を進み宿主の案内で部屋に着く。物珍しい内装をキョロキョロと見まわしていると、

「脱げ」

 雨に濡れて色が濃くなったエリスのドレスをジェラルドは性急に脱がせ始める。
 やはりこうなるのかと思いつつ、されるがままだというのは癪だ。

「自分で脱ぎます! 先生こそ脱いだらどうですか。風邪を引きますよ」

 ジェラルドが不満そうに目を細める。やれやれといったふうに息を吐きながらエリスの服を脱がせるのをやめ自身の外套に手を掛ける。

「東洋には熱い湯に浸かる習慣があるらしい。冷えた体にはちょうどいい。先に行っているから早く来い。……きみに風邪を引かれたら厄介だからな」
「わかってますよ」

 彼の前で裸になるのは数知れない。いまさらだ。ジェラルドが浴室に入っていく。エリスもまた裸で後に続く。
 浴室にバスタブはなく、岩で囲まれた中に湯が張ってある。ジェラルドはすでに湯に浸かっていた。彼がいるのとは反対側から湯の中へ入る。

「わっ、熱い」

 足先をほんの少しだけ浸けてみると思いのほか熱かった。よくもまあジェラルドは平然と入っていられるものだ。
 ゆっくりと胸のあたりまで浸かる。冷えた体に熱がこもっていく。

「………」

 無言の圧力と言うべきか、ジェラルドがしかめっ面でこちらをにらんでいる。

「何ですか」
「……言わずともわかるだろう」
「わかりません」

 エリスはきっぱりと言ってふいっと顔を背ける。

(先生の側には絶対に行かないんだから)

 裸で彼に近寄れば、なしくずしに妙なことをされるに決まっている。エリスはくるりと体の向きを変えた。ジェラルドに背を向ける。
 湯をかき分ける音が聞こえて少しだけ振り返る。先ほどよりも近くにジェラルドがいる。エリスは彼から離れるべく、座ったまま膝で移動した。そしてまた振り返る。ジェラルドとの距離がさらに縮まっている。ジェラルドはどうしてかエリスが振り返っているあいだは湯の中を進まない。
 子どものころこういう遊びをしていたのを思い出した。コインを弾いてヒューマンとゴーストを決める。ヒューマンが木の幹に顔を伏せて『くまさんがころんだ』と言っているあいだにゴーストはコッソリと近づいていく。ヒューマンが振り返ったときに動いてしまったらゴーストの負けだ。

(私はいまヒューマンというわけね)

 ゴーストに体に触れられたらヒューマンは負けてしまう。何としても逃げ切りたい。
 胸もとを押さえて立ち上がり、逃げに走る。すると後方からもバシャバシャと湯を弾く音がした。

「――ひゃ!」

 あっさりとつかまってしまった。エリスはジェラルドに後ろから羽交い締めにされる。

「……っ、なぜ逃げる」
「だって……! 先生が追いかけてくるから」
「きみは草食動物か」
「先生は肉食ですから、そうなりますね。……っん」

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