「……そう。好きな人がいるの。ごめんなさい、すぐに言わなくて。もっと早くその話をしていれば、わざわざ足を運んでもらわなくてもよかったのに」
もともと晴れやかとは言い難かったアゼルの表情がいっきに曇る。アゼルは少しうつむき、唇を噛んだ。
「いや……いいんだ。その想い人とはうまくいきそうなのか?」
「え、ええ……」
上手くいくもなにも、想い人なんていない。ああ、また嘘を重ねてしまった。エリスは自己嫌悪から視線を落とす。
「……なんだ? 恋してるってわりには暗い顔だな」
「そ、そう? 恋わずらい、かもね」
ただでさえ、自分が優柔不断だったせいでアゼルには迷惑をかけているのだ。これ以上無用な心配はかけたくない。
「そうだ。せっかくだから庭を見ていかない? このお屋敷の庭は誰でも自由に出入りができることになってるの。患者さんたちも目の保養にってよく見学してる。白薔薇が見事なのよ」
「ああ、ではお言葉に甘えて。おまえがふだんどんなふうに仕事をしているのかも聞きたいしな」
残りの紅茶をいっきにあおり、アゼルは立ち上がる。エリスもまた彼と同じように紅茶を飲み干し、ティーカップを片付けてからアゼルを庭へ案内した。
「……これは確かに、見事だ」
伯爵邸の一角に広がる白薔薇の庭には誰もが感嘆する。アゼルもまたそうで、感じ入った様子であたまり見まわした。
「これだけたくさん咲き誇っていたら少しくらい出荷できるんじゃないか」
すぐに商売っ気を出すのはさすが実業家といったところだ。しかしアゼルは冗談で言っているのだろう。顔がニヤニヤとほころんでいる。こういう顔をしているときの彼は本気ではないので、エリスは「ふふ」と笑って受け流した。
はたから見れば仲睦まじく見えるふたりをジェラルドが吃驚《きっきょう》しきった顔で見つめていたことを、当のエリスは知る由もなかった。
アゼルに白薔薇の庭を案内した日の夜はどういうわけかなかなか寝付けなかった。アゼルの訪問という、常日頃とは異なることがあったからだろうか。
(日常、か……)
その言葉で真っ先に思い浮かぶ行為がジェラルドとの密事だというのが何ともいたたまれない。赤く染まってしまったであろう頬を誰の目から隠すでもなくエリスは掛け布団を目の下まで引き上げる。
コツンと窓のほうから物音がした。エリスは飛び起きる。今宵は嵐というわけではないから風に飛ばされたなにかが窓ガラスに当たったのとは違うだろう。となれば、人為的なものだと思われる。
壁に設えられたランプに明かりを灯したあとで窓のカーテンをそっと開く。案の定、外に人の姿を見つけてエリスは窓を開けた。冷たい外気が室内へ吹き込み肌を撫でて身震いを起こす。
「何の御用ですか」
エリスの問いかけには答えずジェラルドはしかめっ面で窓の桟を飛び越えて部屋の中へ入ってくる。夜更けだというのに彼は執務服のまま。領主の仕事で疲れているのか、やけに不機嫌だ。
「先生?」
呼びかけても返事はなかった。無言で詰め寄られ、エリスはジリジリと後ずさるしかない。
前 へ
目 次
次 へ
もともと晴れやかとは言い難かったアゼルの表情がいっきに曇る。アゼルは少しうつむき、唇を噛んだ。
「いや……いいんだ。その想い人とはうまくいきそうなのか?」
「え、ええ……」
上手くいくもなにも、想い人なんていない。ああ、また嘘を重ねてしまった。エリスは自己嫌悪から視線を落とす。
「……なんだ? 恋してるってわりには暗い顔だな」
「そ、そう? 恋わずらい、かもね」
ただでさえ、自分が優柔不断だったせいでアゼルには迷惑をかけているのだ。これ以上無用な心配はかけたくない。
「そうだ。せっかくだから庭を見ていかない? このお屋敷の庭は誰でも自由に出入りができることになってるの。患者さんたちも目の保養にってよく見学してる。白薔薇が見事なのよ」
「ああ、ではお言葉に甘えて。おまえがふだんどんなふうに仕事をしているのかも聞きたいしな」
残りの紅茶をいっきにあおり、アゼルは立ち上がる。エリスもまた彼と同じように紅茶を飲み干し、ティーカップを片付けてからアゼルを庭へ案内した。
「……これは確かに、見事だ」
伯爵邸の一角に広がる白薔薇の庭には誰もが感嘆する。アゼルもまたそうで、感じ入った様子であたまり見まわした。
「これだけたくさん咲き誇っていたら少しくらい出荷できるんじゃないか」
すぐに商売っ気を出すのはさすが実業家といったところだ。しかしアゼルは冗談で言っているのだろう。顔がニヤニヤとほころんでいる。こういう顔をしているときの彼は本気ではないので、エリスは「ふふ」と笑って受け流した。
はたから見れば仲睦まじく見えるふたりをジェラルドが吃驚《きっきょう》しきった顔で見つめていたことを、当のエリスは知る由もなかった。
アゼルに白薔薇の庭を案内した日の夜はどういうわけかなかなか寝付けなかった。アゼルの訪問という、常日頃とは異なることがあったからだろうか。
(日常、か……)
その言葉で真っ先に思い浮かぶ行為がジェラルドとの密事だというのが何ともいたたまれない。赤く染まってしまったであろう頬を誰の目から隠すでもなくエリスは掛け布団を目の下まで引き上げる。
コツンと窓のほうから物音がした。エリスは飛び起きる。今宵は嵐というわけではないから風に飛ばされたなにかが窓ガラスに当たったのとは違うだろう。となれば、人為的なものだと思われる。
壁に設えられたランプに明かりを灯したあとで窓のカーテンをそっと開く。案の定、外に人の姿を見つけてエリスは窓を開けた。冷たい外気が室内へ吹き込み肌を撫でて身震いを起こす。
「何の御用ですか」
エリスの問いかけには答えずジェラルドはしかめっ面で窓の桟を飛び越えて部屋の中へ入ってくる。夜更けだというのに彼は執務服のまま。領主の仕事で疲れているのか、やけに不機嫌だ。
「先生?」
呼びかけても返事はなかった。無言で詰め寄られ、エリスはジリジリと後ずさるしかない。