伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 第五章 02

 吐き気とめまい。脈拍と体温の低下。唇のチアノーゼ。そして意識の混濁。
 なぜもっと早く気がつかなかったのだろう。
 エリスは子を宿しているのではない。いや、その可能性は捨てきれないが、とにかくいまエリスの身に起こり彼女を苛んでいるのは別の事象だ。
 エリスは毒に侵されている。植物性の――主にきのこに多く由来するもので、すぐに死に至るような猛毒ではないが、処置が遅れれば神経系に後遺症を残すこともある。
 ジェラルドは薬棚へ急ぎ、処方薬をそろえて手早く解毒の処置をした。
 エリスの症状が落ち着くのを見計らってジェラルドはいったんその場を離れ、メイド頭のもとへ赴き使用人たちが昼に食べたものの検分と食中毒に対する注意喚起を頼み、そのあとはまた診察室へ戻りエリスの傍らで彼女を見守り続けた。
 適切な処置をしたのだから、見守らずとも急変するとは考えにくい。こうして張り付いている必要はないのだと頭ではわかっているが、離れられなかった。他の仕事をする気にもなれず、ただじいっと彼女の寝顔を見つめる。
 エリスはおよそ一時間後に目を覚ました。彼女が眠っているあいだにメイド頭のニーナが昼食の検分結果を報告に来た。ジェラルドはニーナからの報告を受け、渋面を濃くせずにはいられなかった。
 長いまつ毛がピクリと揺れ、ヘーゼルナッツ色の瞳がゆっくりとまみえる。

「エリス……ッ」

 彼女の手を握りしめ、身を乗り出して呼びかける。

「……先生」

 か細い声だったが的確な反応があったことにひとまず安堵する。
 医者をしていてよかったと心底思う瞬間だった。
 症状が出てから比較的早期に解毒できたのも非常によかった。回復にも影響するからだ。
 ジェラルドは脈や心音を確認したあと、慎重にエリスの体を抱え上げて診察室を出た。
 ゲストルームのうち、私室に一番近い部屋に彼女を移す。

「しばらくこの部屋を使って休め。診察のほうは気にしなくていい。ヴィンセントもかなり慣れてきたしな」

 エリスはこくりとうなずく。寝起きというのもあってまだどこかぼんやりとしている。
 儚げな彼女をぎゅうっと強く抱きしめたいのをすんでのところでこらえてジェラルドは言う。

「定期的に俺が様子を見に来る。この部屋の鍵は俺とメイド頭だけしか持たない。もしそれ以外の人間が来ても部屋に入れるな。寝たふりをしていろ」

 するとエリスはようやく正気に戻ったように目を見張りうろたえた。

「ちょっ、ちょっと待ってください。どういうことですか? 私はただの食あたりなんですよね? あ、他のみんなは大丈夫なんでしょうか」
「他の者は……いまのところ問題ない。ただ、きみはまだ完治していない。弱っているときは他の病原菌にも感染しやすくなる。だから特定の者以外との接触は控えたほうがいい」
「そう、ですか……」

 しぶしぶ納得した様子のエリスに改めて布団を掛け、ジェラルドはゲストルームの鍵を掛けた。

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