伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 第六章 01

 ――中天にかかる満月が美しく空に映える夜。
 伯爵邸に隣接する図書館に人影があった。女は何気なくそこを訪れただけだった。図書館の入り口は施錠されていたが、彼女がそこに立つとカチャリと音を立ててひとりでに鍵が開いた。
 いぶかしみながらも女は中へ足を踏み入れる。入ってすぐのカウンターに羽の生えた熊の銅像があった。その瞳は萌黄色に妖しく光っている。

『きみは僕の愛しいひとに名も姿もよく似てる。だから願いを叶えてあげる』

 どこからともなく聞こえてきた声に、女はたじろいだ。きょろきょろとあたりを見まわすが、ほかに人の姿はない。
 女は銅像に向かって願いを口にした。

『いまから起こることをきみ自身が後悔しない限り夢は続くよ』

 そうして巻き起こったのはひとすじの風。
 はめ殺しの天窓しかないそこに、亜麻色の髪は垂直に射した月光に照らされ不可思議にたなびいていた。


 エリスはジェラルドの執務室にいた。彼に呼びつけられて、そこにいる。

「ご用件は何でしょう、ジェラルド様」

 彼女が尋ねると、ジェラルドは椅子に背を預けながら「ふう」とため息をついた。

「実は寝室の鍵を失くしてしまったんだ。きみが持っているものを貸してくれないか」
「……かしこまりました」

 エリスは懐から鍵束を取り出し、ジェラルドに差し出す。

「寝室の鍵だけでいい。他はきみが持っていなければ困るだろう?」

 エリスは差し出した手をゆっくりと胸の前まで戻した。彼女が外したのは薔薇を象った鍵だった。
 エリスは薔薇の鍵をジェラルドに手渡そうとした。その手を、ジェラルドがつかむ。鍵ではなく、彼女の手首を。エリスのヘーゼルナッツ色の瞳が大きく見開く。

「――きみはだれだ?」

 とたんに女は顔を強張らせた。その表情がジェラルドに対する答えを明示している。

「エリスは寝室の鍵が熊だということを知っている。それに彼女はふだん俺のことを『先生』と呼ぶ。……挙げだしたらキリがないな。とにかくきみのすべてが、きみはエリスではないと言っている」

 続けて出た言葉は戦慄を含んでいた。

「エリスをどこへやった」

 女が後ずさる。ジェラルドは立ち上がり、白衣の懐を漁った。

「きみは全身整形でもしたのか? 面の皮を剥いで確かめてやろうか」

 彼の手にメスが握られているのを目の当たりにして女はますます後退した。

「わ……私は、ジェラルド様を誰よりもお慕い申しております」

 その声は震えていた。エリスの声そのものだが、話し方がまったく違う。ジェラルドはいっそう眉をひそめた。姿形だけでなくどうやって声までこれほど似せているのだろう、と。

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