「気持ちは嬉しいが、きみがエリスでない以上、極めて迷惑な好意だ」
ジェラルドは片手にメスを持ったまま女を壁際に追い詰める。
「きみは、俺が先日解雇した使用人だろう。脅迫文と毒では飽き足らなかったのか。まだエリスに手を出すつもりならこの場で解剖するぞ」
ジェラルドが嗤う。
「内臓はさぞ高く売れるだろうな」
それは医者とは似つかわしくない――さながら悪魔の笑みだった。
「いったいどうなってるの!?」
声に出して叫ばずにはいられなかった。まわりには誰もいないので完全に独り言だ。
今日になってようやく外を歩くことができるようになったと思ったら、部屋を出るなり自分自身が現れて手を引かれ、戸惑っているあいだに物置に閉じ込められてしまった。挙句にメイド服の懐から鍵束まで奪われてしまい、情けないことこの上ない。
これがドッペルゲンガーというやつなのだろうか。しかし、同じ屋敷に自分と似た女性が『たまたま』いるはずがない。
(狙いは先生なんだわ。私に成りすまして、なにかする気なんだ……!)
ジェラルドが危ない。早くここから出なければ。
エリスは物置の中を見まわした。ここはあまり使用頻度が高くない、屋敷の中でも奥まったところにある不用品倉庫だ。待っていても誰かがやって来る可能性は著しく低い。
(窓から外に出る……? でも、下にはおりられない)
ここは二階だ。それに窓に面しているのは裏路地で、誰かが通りかかるのを待っていたら日が暮れてしまうだろう。
それでも、出入り口はいまそこしかない。エリスは窓を開けた。きょろきょろとまわりの様子をうかがう。
(……隣の部屋は鍵がかかっていないはずだわ)
すぐ隣は空き部屋のため施錠されていない。しかも隣にはバルコニーがある。窓伝いに隣室のバルコニーへ降り立つことができれば、脱出できる。
(よしっ……)
エリスは意気込んで出窓の桟に足を掛けた。その瞬間、風が強く吹き抜けた。煽られてよろける。
(あ、あぶな、い)
とたんに、こめかみを冷や汗が伝う。思わず足を引っ込めてしまった。だが二の足を踏んでいる場合ではない。こうしてためらっているあいだにも、ジェラルドは危険にさらされているかもしれない。
エリスは深呼吸をした。ドクドクとあわてふためく体を何とかして落ち着かせ、ふたたび窓の桟を踏む。足場はほとんどないに等しい。もたもたしていたら風に煽られて落下する。エリスは桟を強く蹴って隣室のバルコニーへ跳んだ。
「――っ、は」
移動したのはほんのわずかだ。わずかな距離を跳んだだけだが、空中だというだけで息が上がった。
バルコニーの柵に両手でしっかりとつかまり、まずは右足を上げてまたがる。そのまま体重を移動させようとした、そのとき。強風が吹いた。
「――!」
エリスの体がドサリと音を立てて落ち、一回転する。地面ではなくバルコニーの床に、だ。
(危なかった……)
体重を移動するのがあと数秒でも遅れていたら落ちた先は地面だったに違いない。
エリスは額の汗を拭い、服の汚れをパンパンと手で叩いて払いながら立ち上がった。
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ジェラルドは片手にメスを持ったまま女を壁際に追い詰める。
「きみは、俺が先日解雇した使用人だろう。脅迫文と毒では飽き足らなかったのか。まだエリスに手を出すつもりならこの場で解剖するぞ」
ジェラルドが嗤う。
「内臓はさぞ高く売れるだろうな」
それは医者とは似つかわしくない――さながら悪魔の笑みだった。
「いったいどうなってるの!?」
声に出して叫ばずにはいられなかった。まわりには誰もいないので完全に独り言だ。
今日になってようやく外を歩くことができるようになったと思ったら、部屋を出るなり自分自身が現れて手を引かれ、戸惑っているあいだに物置に閉じ込められてしまった。挙句にメイド服の懐から鍵束まで奪われてしまい、情けないことこの上ない。
これがドッペルゲンガーというやつなのだろうか。しかし、同じ屋敷に自分と似た女性が『たまたま』いるはずがない。
(狙いは先生なんだわ。私に成りすまして、なにかする気なんだ……!)
ジェラルドが危ない。早くここから出なければ。
エリスは物置の中を見まわした。ここはあまり使用頻度が高くない、屋敷の中でも奥まったところにある不用品倉庫だ。待っていても誰かがやって来る可能性は著しく低い。
(窓から外に出る……? でも、下にはおりられない)
ここは二階だ。それに窓に面しているのは裏路地で、誰かが通りかかるのを待っていたら日が暮れてしまうだろう。
それでも、出入り口はいまそこしかない。エリスは窓を開けた。きょろきょろとまわりの様子をうかがう。
(……隣の部屋は鍵がかかっていないはずだわ)
すぐ隣は空き部屋のため施錠されていない。しかも隣にはバルコニーがある。窓伝いに隣室のバルコニーへ降り立つことができれば、脱出できる。
(よしっ……)
エリスは意気込んで出窓の桟に足を掛けた。その瞬間、風が強く吹き抜けた。煽られてよろける。
(あ、あぶな、い)
とたんに、こめかみを冷や汗が伝う。思わず足を引っ込めてしまった。だが二の足を踏んでいる場合ではない。こうしてためらっているあいだにも、ジェラルドは危険にさらされているかもしれない。
エリスは深呼吸をした。ドクドクとあわてふためく体を何とかして落ち着かせ、ふたたび窓の桟を踏む。足場はほとんどないに等しい。もたもたしていたら風に煽られて落下する。エリスは桟を強く蹴って隣室のバルコニーへ跳んだ。
「――っ、は」
移動したのはほんのわずかだ。わずかな距離を跳んだだけだが、空中だというだけで息が上がった。
バルコニーの柵に両手でしっかりとつかまり、まずは右足を上げてまたがる。そのまま体重を移動させようとした、そのとき。強風が吹いた。
「――!」
エリスの体がドサリと音を立てて落ち、一回転する。地面ではなくバルコニーの床に、だ。
(危なかった……)
体重を移動するのがあと数秒でも遅れていたら落ちた先は地面だったに違いない。
エリスは額の汗を拭い、服の汚れをパンパンと手で叩いて払いながら立ち上がった。