伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 第六章 04

 ガシャンッと小気味よい音がした。いや、ふだんならばガラスが割れる音は歓迎すべきものではない。こんな状況だからこそだ。

「割れた……!」

 ガラスにはこぶし大ほどの穴ができた。
 初めからこうしていれば痛い思いをせずに済んだのに。

(まあ、とにかく……これで部屋の中に入れる)

 割り破いた穴から中へ手を差し入れてドアノブの鍵をひねり開ける。
 泥棒にでもなった気分だ。ここが二階でなければガラス扉を割り破ることなんてできなかっただろう。一階の窓ガラスはもっと分厚いし、鉄格子がついているところもある。
 空き部屋は予想どおり施錠されていなかった。難なく部屋を出たエリスは一心に駆けた。走っているあいだも左のこぶしがずきずきと痛んだ。

(でも平気よ、このくらい)

 ジェラルドの身に起こっているであろうことを思うと手の傷よりも胸のほうが痛む。
 コレットは整形してまでジェラルドを手に入れたかったのか。すさまじい根性だ。
 途中、足がもつれて何度も転びそうになった。ここのところ寝てばかりでろくに歩いていなかったせいだ。ふくらはぎが痛い。

(今日は休診日だから、執務室にいるはず)

 なまりきった重い足を叱咤して執務室へ駆けつけ、エリスはノックもせずに扉を押し開けた。

「私が本物です!」

 弾んだ息で言い放つと、そこにいたふたりがいっせいにこちらを見た。
 ――ジェラルドによって顔にメスを突きつけられている自分が、そこにいた。

「な、なにしてらっしゃるんですか!? 顔に傷をつけるなんて、ダメですっ!」

 エリスはもう一人の自分をジェラルドからかばうようにして彼の前に立ち塞がる。
 ジェラルドは唖然としながらもエリスに問う。

「おい……なぜだ。まさか双子の姉妹だとでも言うんじゃないだろうな」
「ち、違います、けど……たぶん」

 産まれてすぐに生き別れた姉妹がもしいるのならばあり得るかもしれないが――それはまずないだろう。

「その女の顔にはすでにメスが入っていることだろう。それにそいつはきみに成り代わろうとしていたんだぞ。なぜかばうんだ」

 エリスは背にかばっている彼女を見やった。驚いた様子でこちらを凝視している。

「……たとえそうだとしても、先生を想ってのことでしょう。気持ちは、痛いほどわかる」

 しん、とあたりが静まり返った。その静寂を破ったのはもう一人のエリスだった。

「……ばかね、エリスは。こんな私をかばうなんて」
「――!?」

 どういうことだ。彼女は顔だけでなく声も自分と似ている。コレットの声とは明らかに違う。コレットのそれはもっと甲高く、いつもキンキンと頭に響くほどだった。

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