伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 第六章 05

 声を真似ているとも思えない。あまりに自然な声音だ。

「あなた、は……?」

 いったい誰なの。なぜ、こんなにもそっくりなの。
 向かい合うとまるで鏡を見ているようだった。背の高さまで同じなのだ。
 自分ではない自分の目から涙がこぼれる。なぜ泣いているのだろう。
 瞬きをして、改めて彼女を見ると――そこに自分の姿はなかった。
 だが、よく知っている人だった。

「リリアナ……?」

 涙を流していてもその美しさは損なわれない。
 いったいなにがどうなっているのか、わけがわからない。でも確かに、いま目の前にいるのは同僚のリリアナだ。

「……っ、ごめん、なさい」
「え――っ、あ!」

 リリアナは目尻の涙を指で拭い、部屋を出て行ってしまった。
 エリスとジェラルドはその場に立ち尽くした。追いかけようにも、足が動かない。全力疾走してここまで来たせいもあると思うが、驚きのあまり微動だにできなかった。
 ――妬みは時に人をも死に至らしめようとする。誰もが抱いたことがあるでろう、身近な感情。愛ゆえに生まれる狂気。

(私だって……新しい看護助手が女性だったらきっとひどく妬んだ。さっきだって……私に成り代わった彼女に嫉妬した)

 いま目の前にあるものを大切にすればこそ生まれるものだが、その感情は必ずしも報われるわけではない。一方通行に終わることが多いなか、ジェラルドと身も心も通じ合わせることができたのは幸運だし、またそれを護っていかなければならないと思う。

「――おい」

 ジェラルドの呼びかけでエリスは我に返る。

「どういうことだ。医科学的に説明しろ、エリス」
「わ、私にわかるわけないじゃないですか!」

 ジェラルドに向き直り、エリスは「うーん」とうなりながら左手をあごに当てた。

「幻覚を見ていたんでしょうか……」

 人の姿が突然、ああも一変するなどあり得ない。だとすれば幻覚を見せられていたと思うよりほかにない。
 エリスの言葉にジェラルドはなにも答えなかった。その視線は彼女の左手に集中している。

「……エリス、その、手は」
「えっ? あ……! すみません、空き部屋のガラス扉を割ってしまいました。お給金から引いておいて下さい」

 エリスは飄々と左手を見下ろしながら言う。

「ちょっと手当してきます。診察室に行ってきますね」

 きびすを返したエリスをジェラルドが引き止める。
 何事だろうと思って彼を見上げると、ジェラルドは顔面蒼白でわなわなと唇を震わせていた。

「ここを動くな! 俺が戻るまで寸分も違えずそこにいろ!」

 絶対だ! と声を荒げてジェラルドは言い足し、あわてた様子で執務室を出て行った。
 それから間もなくして救急箱を片手に戻ってきたジェラルドに、エリスはさんざん小言を言われながら傷の手当てを受けたのだった。

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