伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 終 章 01


「もう一度お願いします」

 伯爵邸内のダンスホールで、エリスは講師に向かって言った。彼女の鼻息は荒い。

「で、ですが……。そろそろご休憩なさっては?」

 ダンスレッスンの講師が苦笑する。本来なら彼がエリスにダンスを手ほどきするのは来週からのはずだっただが、エリスのたっての希望で前倒しになったのである。

(上手になって、ぎゃふんと言わせてやるんだから!)

 ぎゃふんと言わせたい相手はジェラルドではなく彼の年老いた親類たちだ。
 先日、物見遊山さながらにやって来て、口々に「平民風情が、ダンスもまともに踊れないくせに」と言うのだ。
 そんなことを言われれば是が非でも踊れるようになって、目にもの見せてやりたくなる。そうして意気込んだ矢先、

「――怪我人は休んでいろと言ったはすだが?」

 咎めるような低い声がダンスホールに響く。エリスはギクリとして声の主を振り返った。ホールの入り口にはしかめっ面のジェラルドがいた。腕組みをして、不機嫌そうな視線を寄越してくる。

「手の怪我は大したことないですってば。もう傷もふさがっていますし」

「うるさい。医者の言うことは素直に聞け。きみ、今日はもう帰っていい。彼女になにを言われても、レッスンは来週からだ」
「は、はい」

 八つ当たりのごとくジェラルドに凄まれ、ダンスレッスンの講師はそそくさと荷物をまとめてダンスホールを去った。

「まったく、きみは……」

 やれやれといったようすでジェラルドがホールの中に入ってきた。

「だって悔しいじゃないですか、あんなこと言われたら。それに……先生に恥をかかせたくない」

 来月初めの夜会で、ジェラルドの婚約者として正式に披露されることになっているのだ。うかうかしていたらあっという間にそのときがきてしまう。
 ジェラルドが哀しげに眉根を寄せる。

「言いたいやつには言わせておけばいい。俺はきみがどれだけダンスが下手で粗相をしようとも恥ずかしいとは思わない。きみが隣にいるだけで、俺は――」

 言葉を切り、口もとを手で押さえるジェラルド。その頬は赤みを帯びていた。

(な、なっ――)

 ガラにもないことを言わないで欲しい。こちらまでつられて恥ずかしくなってしまう。エリスはジェラルドと同じ顔色になってうつむいた。返す言葉が見つからない。

「と、とにかく……いまは本を読むくらいにしておけ。ほら、ダンスやマナーの本を持って来た。俺の執務室で読むといい。行くぞ」

 手を引かれて歩く。肌が触れ合っている部分が熱い。手をつなぐのなんて今さらだというのに、どきどきと胸が高鳴って仕方がなかった。
 彼の執務室に着くと、なかば無理やりソファに座らされた。ジェラルドはご丁寧に茶まで淹れてくれた。これではどちらが主人なのかわからない。

(先生に心配をかけない程度に頑張ろう)

 勉強して、よく寝て、体調を整えて早く怪我を治そう。
 すべては、愛しい彼のために。

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