伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 《 終 章 02

 光陰矢の如し、披露目の夜会はすぐにやってきた。
 いままでレッスンをしてきたのは閑散としたダンスホール。それを見慣れていたせいか、人であふれかえっているいまはとてつもなく息が詰まる。

「……あまり気負うな。べつに上手く振る舞えなくてもいい。俺は外聞は気にしない。そもそも俺自身、愛想がよくないからな」

 ダンスホールに入るなり固まってしまったエリスをジェラルドがフォローした。

「確かに先生は無愛想ですけど、だからって……私までそうだったら、伯爵家の評判がガタ落ちじゃないですか」
「そんなもの、気にならない。伯爵家が潰れても医者として食っていけるしな」
「なっ……」
「――冗談だ。使用人達を路頭に迷わせる気はさらさらない。まあとにかく、なにが言いたいかというと……わかるだろう? さっさと挨拶まわりを済ませるぞ」
「あ、待ってください」

 先に歩き始めてしまったジェラルドをあわてて追いかける。仰々しく裾が広がった豪奢なドレスは着慣れているはずもなく、またいつものように小走りするわけにもいかない。せめて立ち居振る舞いくらいはそれらしくしていなければ、ダンスやマナーのレッスンを施してくれた講師たちに面目が立たない。
 主催者としての挨拶を貴族一人一人に始めたジェラルドの傍らでエリスはひたすら笑顔を張り付けた。「こちらは私の婚約者のエリス・ヴィードナーです」と、もう何度紹介されたか知れない。しだいに「エリス・ヴィードナー」という別の人間がいるのではないかと思ってしまうくらい、ジェラルドの紹介は無味乾燥としたものだった。

「ああ、これは……お忙しいところようこそ」

 珍しくジェラルドの声音が弾んだ。彼がいま話をしている相手は、エリスも何度か見かけたことがある、医薬品を扱う事業を展開している青年子爵だった。

(……私はこのまま待っていればいいのよね?)

 ジェラルドは青年子爵とすっかり話し込んでしまっている。二人は小難しい話をしている。とても会話に割り込める雰囲気ではないし、まだ挨拶まわりの途中だから一人で勝手にこの場を去るのもどうかと思う。

「――あらぁ、ひとりぼっちでお可哀想に。話し相手になって差し上げましょうか?」

 聞き覚えのある甲高い声に、エリスは瞬時に総毛立った。
 ちらりと振り返るとそこには、扇で口もとを隠しているコレット嬢の姿があった。エリスは心の中だけで「げっ」と言いながら引きつった笑みでやり過ごす。まともに相手をするのは癪だ。ジェラルドが側にいるからにはさすがに体当たりはしてこないだろう。

「そのドレス、よくお似合いでしてよぉ。貧相な……あぁ、失礼。華奢なお体が上手くカバーされていらしてよ」
「そうですか。私にはもったいないくらいのお言葉をありがとうございます。コレット様も、よくお似合いですよ。目にとても鮮やかなドレスですね。まるで……朝露を弾く苺のようにみずみずしくお美しい」

 まるで鮮血のよう、と言いたいのをグッとこらえてエリスはぎこちなくほほえむ。いっぽうコレットはさも当然とばかりに顎を上げて微笑した。嫌いな相手といえど褒められて悪い気はしない、といったところか。

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