すると急にダンスホールがざわついた。何事だろう、とエリスは皆が見ているのと同じほうを向く。
(あ……!)
衆目を集めていたのはローゼンラウス侯爵夫妻だった。遅れてやってきた彼らに皆が注目している。
それもそのはず、正装した二人が並んでいるとそれだけで場が華やいだ。ジェラルドの兄フィース・アッカーソン、ローゼンラウス侯爵は地味な色合いのタキシードだったが、元の造作がよいためにその秀麗さをまったく押し殺せていない。彼の隣に立つ侯爵夫人のアリシアはいつ見てもやはり絶世の美女だ。鮮やかなピンク色の髪は優美に結い上げられ、傍らの侯爵に合わせたシルバーグレーの控えめな色のドレスだが、彼女の身の内からあふれだす美を隠すには到底及ばない。
エリスは美しい二人に見とれて惚けていた。そのせいで、二人がまっすぐこちらに向かって歩いて来ていることに直前まで気がつかなかった。
「……兄さん。先日はどうも。手間を掛けた」
「ん? ああ……気にするな。可愛い弟の、めったにない頼み事だ。少しも手間じゃなかったよ」
ジェラルドとフィースが談笑――笑っているのはフィースだけだが――しているのをエリスはただ見守っていた。
(兄弟仲はあまりよくないのかと思っていたけど……大丈夫みたい)
ジェラルドが二人にエリスを紹介する。
「こちらはエリス・ヴィードナー。……俺の、最初で最後の……大切な女性《ひと》だ」
エリスは目を見張りジェラルドに視線を投げる。どうしていまになってそんな紹介の仕方をするのだ。さっきまでの無味乾燥な定型句で充分だったというのに。
耳まで真っ赤になっているエリスの手をアリシアが興奮した面持ちで取る。
「私、ずっと妹が欲しかったの。仲良くしてね、エリス。さあ、一緒にご挨拶まわりをしましょう。わからないことがあったら何でも遠慮なく聞いてね」
「は、はいっ。ありがとうございます」
アリシアに連れられて歩き出す。視界の端にコレットが見えた。悔しそうに唇を噛み締めている彼女に向かってエリスはこれ見よがしに満面の笑みを浮かべてやった。
ジェラルドはアリシアにエリスを連れ出されてしまい不満だった。ゲストへの挨拶は済んだので後は自由にしていても問題ないのだが――。
(エリスと踊りたかった)
外聞のため必死にレッスンをしてくれた彼女と踊り、これまで親身に仕えてくれたねぎらいも含めてこれでもかと甘い言葉をかけてやるつもりだったのに。
兄の妻であり幼なじみでもあるアリシアは昔からそうだ。フィースを外へ連れ出しては遅くまで帰ってこないということが多々あった。
(それで俺は寂しい幼少期を過ごし――)
ジェラルドはハッとする。いや、寂しかったなどとは認めない。自ら進んで部屋に閉じこもり、好きで本を読んでいたのだ。
ジェラルドは通りかかったメイドから、トレイに載ったワインを掠め取りグイッといっきにあおいだ。喉が焼けるようだった。そうだ、今日は早々に夜会をお開きにする目的で強めのワインを振る舞うことにしたんだった。
「……ジェラルド。大丈夫か、そんなに飲んで。そのワインはかなり強いだろう。もう何杯目だ?」
フィースに声を掛けられてもワインをあおる手は止まらない。ジェラルドは一杯では飽き足らず通りかかるメイドから次々とワインを奪い飲み干していた。
「問題ない。それよりいいのか、兄さん。ご夫人が、目の色を変えた男どもの餌食になっている」
エリスとアリシアはいつの間にか浮名の常連とも言うべき男たちに囲まれていた。ここからジロリと男たちをにらんだところで、結局は蚊帳の外だ。
フィースが肩をすくめる。
「そっちだって、フィアンセは大丈夫なのか? あの男どもは口が達者だ」
おまえがどうにかしてこいよ、という腹の探り合いに決着はつきそうにない。
「……そろそろ回収に行こう」
ジェラルドとフィースは足並みをそろえ、それぞれの愛しい人のもとへ憤然と歩み寄った。
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(あ……!)
衆目を集めていたのはローゼンラウス侯爵夫妻だった。遅れてやってきた彼らに皆が注目している。
それもそのはず、正装した二人が並んでいるとそれだけで場が華やいだ。ジェラルドの兄フィース・アッカーソン、ローゼンラウス侯爵は地味な色合いのタキシードだったが、元の造作がよいためにその秀麗さをまったく押し殺せていない。彼の隣に立つ侯爵夫人のアリシアはいつ見てもやはり絶世の美女だ。鮮やかなピンク色の髪は優美に結い上げられ、傍らの侯爵に合わせたシルバーグレーの控えめな色のドレスだが、彼女の身の内からあふれだす美を隠すには到底及ばない。
エリスは美しい二人に見とれて惚けていた。そのせいで、二人がまっすぐこちらに向かって歩いて来ていることに直前まで気がつかなかった。
「……兄さん。先日はどうも。手間を掛けた」
「ん? ああ……気にするな。可愛い弟の、めったにない頼み事だ。少しも手間じゃなかったよ」
ジェラルドとフィースが談笑――笑っているのはフィースだけだが――しているのをエリスはただ見守っていた。
(兄弟仲はあまりよくないのかと思っていたけど……大丈夫みたい)
ジェラルドが二人にエリスを紹介する。
「こちらはエリス・ヴィードナー。……俺の、最初で最後の……大切な女性《ひと》だ」
エリスは目を見張りジェラルドに視線を投げる。どうしていまになってそんな紹介の仕方をするのだ。さっきまでの無味乾燥な定型句で充分だったというのに。
耳まで真っ赤になっているエリスの手をアリシアが興奮した面持ちで取る。
「私、ずっと妹が欲しかったの。仲良くしてね、エリス。さあ、一緒にご挨拶まわりをしましょう。わからないことがあったら何でも遠慮なく聞いてね」
「は、はいっ。ありがとうございます」
アリシアに連れられて歩き出す。視界の端にコレットが見えた。悔しそうに唇を噛み締めている彼女に向かってエリスはこれ見よがしに満面の笑みを浮かべてやった。
ジェラルドはアリシアにエリスを連れ出されてしまい不満だった。ゲストへの挨拶は済んだので後は自由にしていても問題ないのだが――。
(エリスと踊りたかった)
外聞のため必死にレッスンをしてくれた彼女と踊り、これまで親身に仕えてくれたねぎらいも含めてこれでもかと甘い言葉をかけてやるつもりだったのに。
兄の妻であり幼なじみでもあるアリシアは昔からそうだ。フィースを外へ連れ出しては遅くまで帰ってこないということが多々あった。
(それで俺は寂しい幼少期を過ごし――)
ジェラルドはハッとする。いや、寂しかったなどとは認めない。自ら進んで部屋に閉じこもり、好きで本を読んでいたのだ。
ジェラルドは通りかかったメイドから、トレイに載ったワインを掠め取りグイッといっきにあおいだ。喉が焼けるようだった。そうだ、今日は早々に夜会をお開きにする目的で強めのワインを振る舞うことにしたんだった。
「……ジェラルド。大丈夫か、そんなに飲んで。そのワインはかなり強いだろう。もう何杯目だ?」
フィースに声を掛けられてもワインをあおる手は止まらない。ジェラルドは一杯では飽き足らず通りかかるメイドから次々とワインを奪い飲み干していた。
「問題ない。それよりいいのか、兄さん。ご夫人が、目の色を変えた男どもの餌食になっている」
エリスとアリシアはいつの間にか浮名の常連とも言うべき男たちに囲まれていた。ここからジロリと男たちをにらんだところで、結局は蚊帳の外だ。
フィースが肩をすくめる。
「そっちだって、フィアンセは大丈夫なのか? あの男どもは口が達者だ」
おまえがどうにかしてこいよ、という腹の探り合いに決着はつきそうにない。
「……そろそろ回収に行こう」
ジェラルドとフィースは足並みをそろえ、それぞれの愛しい人のもとへ憤然と歩み寄った。