診察台でとろける身体 《 番外編 婚前旅行(1)

上司兼恋人の晴翔と婚約してから数ヶ月が経ち、杏樹は彼と一緒に温泉宿へきていた。本当は結婚式を挙げてからくるつもりだったけれど、彼の仕事の都合で婚前旅行になったのだった。

「ねえ杏ちゃん。一応は新婚旅行みたいなモンだから、もっとお洒落なところのほうがよかったんじゃない? 海外のビーチとかさ」

広い和室の大きなテーブルには豪勢な会席料理がところせましと並んでいた。浴衣姿で向かいに座る晴翔は申しわけのなさそうな顔をしてこちらを見ている。

「ううん、いいの。晴くんはあんまりやすめないんだから、温泉につかってゆっくりしたほうがいいよ。私も温泉、好きだし」

そう言って杏樹は新鮮そうな刺身をパクリと食べた。うん、おいしい。鮮度は抜群だ。

「……ありがとう。ね、そっち側に行ってもいい?」

晴翔の目が怪しく細まる。経験上、こういう顔をしている時の彼はなにかエッチなことを企んでいる。

「ダメ! ……ご飯、食べてからにして」

「ちぇ……」

子どものように口を尖らせて、晴翔も刺身に手をつけた。心なしかいつもより食べるのが早い。

「私はいつもどおりゆっくり食べるからね。あせって食べても無駄だからねっ」

「あしぇってなんてにゃいよ」

晴翔はモグモグと口いっぱいにほおばっている。聞き取りづらい。

「もう……」

ため息をつきつつ、晴翔を待たせてはいけないという思いが少なからずあって、杏樹も料理を食べ進めた。

***

豪勢な料理を短時間で食べ終えたふたりは、湯のみしか乗っていないテーブルを無言で眺めていた。

(どうしよう……晴くんがなにも言わないから、妙な雰囲気になっちゃったじゃない。いつもどういうふうにエッチしてたっけ)

たいていは彼のほうから求めてくる。だからそのまま流れで……という感じだったのだが、いま晴翔は神妙な面持ちで茶をすすっている。そういう素振りは微塵も感じられない。

「え……っと、お風呂……もう一回、入ってこようかな」

せっかく露天風呂付きの客室に泊まっているのだから、一回入るくらいではもったいない。この気まずい状況から逃げ出したいという気持ちもあって、杏樹はすっくと立ち上がった。

「そう。いってらっしゃい」

晴翔のその言葉に、杏樹は無言で唇を一文字に結んだ。一緒に入る、と言われるのを期待していたからだ。

(もしかして、さっきダメって言ったこと怒ってるのかな。でも、だからっていきなり謝っても……許してくれないかも)

彼を見おろしながらしばし悩む。

(少し頭を冷やそう)

杏樹は身体を温めつつ頭を冷やすことにして、ひとりで部屋の露天風呂へ向かった。
脱衣室で浴衣を脱いで、和モダンな石造りの風呂に浸かる。ひとりで入るには広すぎるくらいで、たとえふたりだとしても充分だ。

(何て言って謝ろう……。ううん、謝る必要なんてあるの? でも……せっかくの旅行なのに、このまま気まずいのは嫌だし)

グルグルと考えあぐねる。
考え事に集中しすぎて、杏樹は晴翔がすぐそばまできていることに気がつかなかった。

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