目的地に到着するころには深夜の0時をまわっていた。
公園には満開の桜が咲いているけれどさすがにこの時間では誰もいない。そもそもここは街からだいぶんはずれた郊外だ。
龍我は公園の駐車場に車を停めた。ピンク色の花びらが薄暗い外灯に照らされている。
「さーて、お膳立てはこのくらいにしておくか。じゃ、俺は行くから。龍我、ちゃんと友梨に話せよ、あのことも含めて」
「っ、おい、どこに行くんだよ」
「どこって、帰るんだよ。はー、タクシーつかまるかなぁ。ったく、こうでもしなきゃ好きな子にだけは奥手な龍我は前にすすめないじゃん? 俺っていいやつー」
片手を振りながら聡が車を出て行く。友梨はぽかんとした表情で彼が暗闇に消えていくのを見送っていた。
「なんなんだよ、あいつ……」
龍我は運転席にとどまったまま頭をかきむしっている。毛先にくせのある茶髪が乱れる。
「あ、の……。これ、ほどいてくれない?」
友梨はミラー越しに龍我のようすをうかがいながら言った。いつまでも背中で両腕を縛られたままなのは心地が悪い。
「あ、ああ……」
バタン、と運転席のドアが閉まる音がして、セカンドシート側のスライドドアが開いた。龍我は聡が乗っていたほうのドアからふたたび車内へ入ってきた。視線を泳がせながら、シートベルトのリリースボタンを押している。
「っ、ん」
シートベルトが乳首をこすり、つい艶かしい声を出してしまった。ひとりで感じているのが恥ずかしくなる。
「あ、ごめん……」
謝られるとよけいに羞恥心が増す。龍我はなにも悪くない。
「友梨、うしろを向いてくれ。はずすから、手首の紐」
「うん……」
彼に背を向けて窓のほうに身体を向ける。手首に巻きつけられた荷造り紐を龍我が解いていく。
「……ねえ、龍我。さっき聡が言ってたことなんだけど」
龍我の手がぴたりと止まった。手首の拘束はだいぶんゆるくなっているが、まだ完全にはほどけていない。
「あのことって、なに……? なにか隠してるの?」
しばしの沈黙。龍我はなにも話さない。
ふわり、と肩になにかがかぶさってきた。龍我の黒いジャケットだ。ぬくもりが残っている。
「あ……ありがと」
自由になった両手で、大きなジャケットの前を引き寄せて隠しながら振り返る。彼の銀縁眼鏡のレンズが外灯の薄明かりを反射している。目もとが見えない。
「僕は……友梨に……」
「……うん?」
「その……。謝らなくちゃいけないことがあって」
「……これまでのことを言ってるの? 龍我が気にすることじゃないよ。だって聡が」
「いや、そのこともなんだが、ほかにもあって」
「ほかにも?」
龍我がいっそううつむいた。こういう彼を見るのはいつ振りだろう。弁護士になってからは、職業柄なのかいつも堂々としている。それまでは、どちらかというと気弱な男の子だったから、こんなふうにウジウジとした姿はむしろ見慣れている。
「……写真を、持ってる。友梨の」
「ああ……聡が撮ってたやつでしょ? 消してくれれば、別にいいよ」
「違う、それだけじゃなくて。友梨のこと……こっそり写した、やつ」
「……どういう意味?」
龍我はGパンのポケットからスマートフォンを取り出した。薄暗闇のなかでなにやら操作している。
それからスマートフォンを手渡された。
「見ていいの?」
「……うん」
左手はジャケットの前を押さえたまま、右手で彼の携帯電話を受け取って画面を見おろす。
写っていたのは、眠っている自分の姿。
「これって……高校のときの?」
先ほどと同じように龍我は「うん」と答えた。
「なんでそんな古い写真がスマホに入ってるの?」
「……突っ込むとこ、ソコ?」
「や、だって……あのころはまだスマホ持ってなかったよね」
「データを移したんだ。昔のケータイから」
「ふうん……」
スマートフォンの画面をタップする。写真は友梨の寝顔ばかりだ。
高校時代はよく龍我の部屋でゲームや漫画を読んで過ごして、つい眠くなって彼のベッドで数時間ほど寝ることが多々あった。おそらくそのときに撮った写真なのだろう。
「それで、これがどうしたの?」
「……え。いや、気持ち悪いだろ? それに、盗撮は犯罪だし」
友梨は携帯電話を龍我に返しながら答える。
「んー……。別に、そこまで嫌ではない。それよりも、私の裸の写真は消して」
すると龍我は口をへの字に曲げた。スマートフォンをポケットにしまいながらそっぽを向く。
「……いやだ」
「どうして」
「それは……」
うじうじ、ウジウジ。ああ、懐かしい反応だ。
「ああっ、もう! ハッキリしなさいよ! 龍我は私のこと、好きなの!?」
彼の顔がみるみる赤く染まっていく。
有りえないほど下を向いて、コクリとうなずいた。
友梨はそのあとすぐにはなにもしゃべらなかった。
「……友梨」
答えを急かしているつもりなのだろう。それでも友梨は口をつぐむ。ちょっとした意地悪のつもりだ。
窓の外を眺め、にわかに高鳴り始めた心臓をなだめるように深呼吸して口をひらく。
「龍我のこと、頼りないお兄ちゃんみたいに思ってた。それに、まさか私のこと……」
彼は大学に入ったころから女遊びが激しかった。
それというのも、友梨に初めて彼氏ができたのが高校受験を終えたあとだったのだが、いま思えばそのころから龍我は荒れ始めた。
学業が品行方正なのには変わりなかったが、付き合う女性をコロコロと変えては遊び捨てていた。はたから見るとそんなふうだった。
本当のところはどうなのだろうと気になって尋ねる。
「ねえ、私に彼氏ができたとき、ヤキモチやいた?」
「……うん」
「じゃあどうして、もっと早く言ってくれなかったの」
「……友梨、僕のこと男だと思ってないみたいだから」
つい先ほど「頼りないお兄ちゃん」と称してしまっただけに否定はできない。
「う……ん、そうだね。ごめん」
いまにも泣き出しそうな顔をして龍我が眉尻を下げている。
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公園には満開の桜が咲いているけれどさすがにこの時間では誰もいない。そもそもここは街からだいぶんはずれた郊外だ。
龍我は公園の駐車場に車を停めた。ピンク色の花びらが薄暗い外灯に照らされている。
「さーて、お膳立てはこのくらいにしておくか。じゃ、俺は行くから。龍我、ちゃんと友梨に話せよ、あのことも含めて」
「っ、おい、どこに行くんだよ」
「どこって、帰るんだよ。はー、タクシーつかまるかなぁ。ったく、こうでもしなきゃ好きな子にだけは奥手な龍我は前にすすめないじゃん? 俺っていいやつー」
片手を振りながら聡が車を出て行く。友梨はぽかんとした表情で彼が暗闇に消えていくのを見送っていた。
「なんなんだよ、あいつ……」
龍我は運転席にとどまったまま頭をかきむしっている。毛先にくせのある茶髪が乱れる。
「あ、の……。これ、ほどいてくれない?」
友梨はミラー越しに龍我のようすをうかがいながら言った。いつまでも背中で両腕を縛られたままなのは心地が悪い。
「あ、ああ……」
バタン、と運転席のドアが閉まる音がして、セカンドシート側のスライドドアが開いた。龍我は聡が乗っていたほうのドアからふたたび車内へ入ってきた。視線を泳がせながら、シートベルトのリリースボタンを押している。
「っ、ん」
シートベルトが乳首をこすり、つい艶かしい声を出してしまった。ひとりで感じているのが恥ずかしくなる。
「あ、ごめん……」
謝られるとよけいに羞恥心が増す。龍我はなにも悪くない。
「友梨、うしろを向いてくれ。はずすから、手首の紐」
「うん……」
彼に背を向けて窓のほうに身体を向ける。手首に巻きつけられた荷造り紐を龍我が解いていく。
「……ねえ、龍我。さっき聡が言ってたことなんだけど」
龍我の手がぴたりと止まった。手首の拘束はだいぶんゆるくなっているが、まだ完全にはほどけていない。
「あのことって、なに……? なにか隠してるの?」
しばしの沈黙。龍我はなにも話さない。
ふわり、と肩になにかがかぶさってきた。龍我の黒いジャケットだ。ぬくもりが残っている。
「あ……ありがと」
自由になった両手で、大きなジャケットの前を引き寄せて隠しながら振り返る。彼の銀縁眼鏡のレンズが外灯の薄明かりを反射している。目もとが見えない。
「僕は……友梨に……」
「……うん?」
「その……。謝らなくちゃいけないことがあって」
「……これまでのことを言ってるの? 龍我が気にすることじゃないよ。だって聡が」
「いや、そのこともなんだが、ほかにもあって」
「ほかにも?」
龍我がいっそううつむいた。こういう彼を見るのはいつ振りだろう。弁護士になってからは、職業柄なのかいつも堂々としている。それまでは、どちらかというと気弱な男の子だったから、こんなふうにウジウジとした姿はむしろ見慣れている。
「……写真を、持ってる。友梨の」
「ああ……聡が撮ってたやつでしょ? 消してくれれば、別にいいよ」
「違う、それだけじゃなくて。友梨のこと……こっそり写した、やつ」
「……どういう意味?」
龍我はGパンのポケットからスマートフォンを取り出した。薄暗闇のなかでなにやら操作している。
それからスマートフォンを手渡された。
「見ていいの?」
「……うん」
左手はジャケットの前を押さえたまま、右手で彼の携帯電話を受け取って画面を見おろす。
写っていたのは、眠っている自分の姿。
「これって……高校のときの?」
先ほどと同じように龍我は「うん」と答えた。
「なんでそんな古い写真がスマホに入ってるの?」
「……突っ込むとこ、ソコ?」
「や、だって……あのころはまだスマホ持ってなかったよね」
「データを移したんだ。昔のケータイから」
「ふうん……」
スマートフォンの画面をタップする。写真は友梨の寝顔ばかりだ。
高校時代はよく龍我の部屋でゲームや漫画を読んで過ごして、つい眠くなって彼のベッドで数時間ほど寝ることが多々あった。おそらくそのときに撮った写真なのだろう。
「それで、これがどうしたの?」
「……え。いや、気持ち悪いだろ? それに、盗撮は犯罪だし」
友梨は携帯電話を龍我に返しながら答える。
「んー……。別に、そこまで嫌ではない。それよりも、私の裸の写真は消して」
すると龍我は口をへの字に曲げた。スマートフォンをポケットにしまいながらそっぽを向く。
「……いやだ」
「どうして」
「それは……」
うじうじ、ウジウジ。ああ、懐かしい反応だ。
「ああっ、もう! ハッキリしなさいよ! 龍我は私のこと、好きなの!?」
彼の顔がみるみる赤く染まっていく。
有りえないほど下を向いて、コクリとうなずいた。
友梨はそのあとすぐにはなにもしゃべらなかった。
「……友梨」
答えを急かしているつもりなのだろう。それでも友梨は口をつぐむ。ちょっとした意地悪のつもりだ。
窓の外を眺め、にわかに高鳴り始めた心臓をなだめるように深呼吸して口をひらく。
「龍我のこと、頼りないお兄ちゃんみたいに思ってた。それに、まさか私のこと……」
彼は大学に入ったころから女遊びが激しかった。
それというのも、友梨に初めて彼氏ができたのが高校受験を終えたあとだったのだが、いま思えばそのころから龍我は荒れ始めた。
学業が品行方正なのには変わりなかったが、付き合う女性をコロコロと変えては遊び捨てていた。はたから見るとそんなふうだった。
本当のところはどうなのだろうと気になって尋ねる。
「ねえ、私に彼氏ができたとき、ヤキモチやいた?」
「……うん」
「じゃあどうして、もっと早く言ってくれなかったの」
「……友梨、僕のこと男だと思ってないみたいだから」
つい先ほど「頼りないお兄ちゃん」と称してしまっただけに否定はできない。
「う……ん、そうだね。ごめん」
いまにも泣き出しそうな顔をして龍我が眉尻を下げている。