満員電車のデキゴコロ 《 03

 買い物を済ませて帰宅した美奈はすぐに夕飯を作り始めた。すでに6時を過ぎている。優人が帰ってくるまであと1時間しかない。
 無心で黙々と支度を進めていると、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。

「はーい」

 返事をしながら玄関へ急ぐ。小走りしたせいか、それとも今朝の出来事のせいかトクトクと自分自身の脈がうるさく感じる。

「……お疲れ様、優人くん」
「うん、お疲れ様」

 優人はどこかよそよそしかった。美奈とは目を合わせようとせず、廊下の隅に視線を投げている。
 彼のそんなようすが、ショックだった。

(今朝のこと、後悔してるの……?)

 後悔されるくらいなら、何事もなかったようにされるほうがまだいい。何事もなかったときに、戻れるほうが格段にいい――。

「ご……ご飯、できてるから……。上がって」

 平静を装って、いつも通りにふるまう。

「お邪魔します」

 小さな声でそう言って、優人が家のなかへ上がり込む。ダイニングまでの短い廊下が、今日はやけに長く感じる。

「入学式はどうだった?」

ふたりで食卓を囲んだところで話しかけられた。話題に困っていた美奈としてはかなりありがたい。

「うん、楽しかった」

 ああ、どうしてもっと話をふくらませられなかったのだろう。
 楽しかった、という感想も、本意ではない。正しくは「これから楽しくなりそう」だ。

(私のほうこそ、いつも通りにできてないじゃない……)

 気落ちしてうつむく。夕飯は優人の好物、ハンバーグだ。自分の好物でもある。
 それからは当たり障りのない話をポツリポツリと語り合った。会話はあまり弾まなかった。
 制服の上にエプロンを羽織り、皿洗いを始める。

「――美奈ちゃん」

 突然、彼の声がすぐ近くで聞こえた。驚いて、ビクッと肩を震わせる。
 振り返るのよりも、うしろから抱きしめられるほうが早かった。

「……っ、ゆう、と、くん?」

 背中と顔が熱い。洗い物の途中だから、手はつめたい。

「……今朝は、ごめん」

 かすれ声はとても低かった。
 彼がここへ来てからはあえて避けていた話題を出されて、うやむやにされたくないと思っていたのに、いざとなるとどう切り返してよいのかわからなくなる。

「あ……。えっと、その……」

 自分の気持ちをどう伝えればよいのかわからずまごついていると、先に優人が口をひらいた。

「美奈ちゃん、もともとかわいかったのに、どんどん綺麗になっていくから……困る」

 黒いセミロングヘアに熱い息が吹きかかる。うなじも同時にかすめるものだから、くすぐったい。
 優人は美奈の首すじに顔をうずめて言う。

「いまも……かわいすぎて、たまらない」

 腰にゆるく巻きついていた彼の腕がわずかに締まった。

「美奈ちゃんは、誘ってるつもりなんかないってわかってたのに……あんなことして、本当にごめん。……怒ってる?」
「お、こって、なんか……」

 ぶんぶんと頭を左右に振って全力で否定する。むしろ嬉しかった、とは恥ずかしくて言えないので、怒ってなどいないと伝えるのが精いっぱいだった。

(でも、きちんと言わなくちゃ。私の気持ち)

 前を向いたまま深呼吸をする。

「わ、わたし……。優人くんのこと、ずっと……。す、好き、だったから……その」

 ひとりでに顔が、耳が熱くなっていく。つめたかった手の先もだ。

「……それ、俺のせりふなんだけど」

 腰もとにあった優人の腕が急に動いた。素早く、上へと。

「っ……!?」

 片手で頬を覆われ、強引にうしろを向かされた。そのあとは、暗くなった。彼の顔が視界をさまたげている。

「ん、ん……っ!」

 恋しいひととのファーストキスは思いのほか濃厚だった。唇が半びらきになっていたせいか、すぐに熱い舌が割り入ってきた。口のなかをねっとりと、しかしどこか性急に舐め上げていく。

「ふっ、ん、ンンッ」

 鼻でうまく息ができなくて苦しい。
 美奈が息苦しさを感じているのに気がついたらしい優人は、名残り惜しそうに唇を離した。

「ごめん……。でも、止まらない。嬉しくて」
「んくっ、う……」

 初めはひかえめだった、エプロンとセーラー服をまさぐる手の動きがしだいに激しくなっていく。
 ごく自然に、違和感なくセーラー服のすそがめくれ上がる。そうなっているのは制服のほうだけだ。優人は白いエプロンの両端からなかに手を突っ込んでいる。
 制服のすそが胸の上まできたところで、美奈はとっさに両腕で胸もとを押さえた。いやだ、とかそういことではない。羞恥からくる反射だった。

「……美奈ちゃん」
「ひゃっ……!」

 耳もとで、甘さを帯びたかすれ声で名前を呼ぶのはやめてほしい。肢体の先端がむずがゆくなってきてしまう。

「……っあ」

 プチンッという音がなんなのか、すぐにわかった。ブラジャーのホックを弾かれて、胸もとがゆるくなる。
 美奈はますますぎゅうっと両腕に力を込めた。

「恥ずかしい?」

 問われ、コクコクと何度もうなずく。

「じゃあ、エプロンはそのままでいいから……。ね?」
「っ、え……」

 セーラー服のすそは胸の上だというのに、エプロンは着たままだ。それだけならまだよかったのだが、優人は白いエプロンの両端をつまんで中央に寄せてしまった。よけいにへんな格好になっている気がするし、これではけっきょく、なにも隠せていない。

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