琴の音が聞こえる。鈴音が奏でているのだろう。
あまり上手とは言えない。それでも耳に心地よく響くのは、彼女が懸命に弦を弾く姿を想像して愛しくなるからだ。
大広間の上段にあぐらをかき、肘掛けに片肘をついて座っていた極夜のもとに、侍従がやってきた。うやうやしく書状を差し出してくる。
どうせろくな内容ではないだろうな、と思いながらも書状を受け取り、内容を確かめる。
極夜は書状を最後まで読み終わると、片手でくしゃくしゃに丸めて下段に放った。
頭を低くして待機していた侍従は困り顔でその書状を拾い上げて紙のしわを伸ばす。
「……いかがなさいますか?」
「いましがた示しただろう」
要するに、丸めてポイだ。
侍従は眉を下げたまま「お言葉ですが」と話を切り出す。
「暁国《ぎょうこく》の二の姫はすでに出立したと記してありますので、間もなくこの城に到着なさるかと」
極夜は視線を広間の隅に投げたまま「はぁ」と大げさなため息をついた。
侍従は申し訳なさそうな顔のまま一礼して去っていく。
(よく知らぬ相手と結婚などできるか)
極夜は仏頂面で私室へ戻る。もうすぐ午後の茶の時間だ。
床柱に背を預けて片膝を立て、彼女がやってくるのを待つ。鈴音に会えるのをこんなにも心待ちにしているのだということを、彼女は知らないだろう。
「失礼します」
凛とした声が響いた。極夜は「ああ」とだけ答える。
本当は「待っていた!」と叫び出したいくらいだが、もう二十年近くこういうふうに振る舞ってきたのだ。いまさら口下手は治らない。
音もなくふすまが開き、廊下に正座した鈴音が現れる。茶碗と、それから菓子が載った四方盆を前へすすめ、両手を畳の上につき、にじって部屋のなかへ入ってくる。
(……昔は可愛らしいと思っていたが、いまは)
艶のある真っすぐな黒い髪の毛はうしろでひとまとめにしてある。目鼻立ちはバランスがよく、唇はいつだってみずみずしい。
極夜は鈴音の美しさにいつも見とれる。今日の菓子がなんなのかということよりも、彼女の美貌を眺めることのほうが一興だ。
極夜は差し出された菓子と茶を口に入れる。そのあいだ、部屋は静まり返っていた。
(……なにか話さねば)
だがなにも思いつかない。
鈴音は目を伏せて部屋の隅に正座している。いつだったか、なぜ目を合わせないのだと勇気を振り絞って尋ねると、母親から「身分の高いお方の目をじいっと見つめてはいけない」と注意を受けたと言っていた。
(なぜ俺はあのとき――そんなこと気にするなと言わなかったのだろう)
彼女が目も合わせてくれないのが悲しい。面白おかしい話でもして笑わせたいのに、頭のなかは鈴音が今日も美しいということばかりで話題が浮かばない。じつにふがいない。
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あまり上手とは言えない。それでも耳に心地よく響くのは、彼女が懸命に弦を弾く姿を想像して愛しくなるからだ。
大広間の上段にあぐらをかき、肘掛けに片肘をついて座っていた極夜のもとに、侍従がやってきた。うやうやしく書状を差し出してくる。
どうせろくな内容ではないだろうな、と思いながらも書状を受け取り、内容を確かめる。
極夜は書状を最後まで読み終わると、片手でくしゃくしゃに丸めて下段に放った。
頭を低くして待機していた侍従は困り顔でその書状を拾い上げて紙のしわを伸ばす。
「……いかがなさいますか?」
「いましがた示しただろう」
要するに、丸めてポイだ。
侍従は眉を下げたまま「お言葉ですが」と話を切り出す。
「暁国《ぎょうこく》の二の姫はすでに出立したと記してありますので、間もなくこの城に到着なさるかと」
極夜は視線を広間の隅に投げたまま「はぁ」と大げさなため息をついた。
侍従は申し訳なさそうな顔のまま一礼して去っていく。
(よく知らぬ相手と結婚などできるか)
極夜は仏頂面で私室へ戻る。もうすぐ午後の茶の時間だ。
床柱に背を預けて片膝を立て、彼女がやってくるのを待つ。鈴音に会えるのをこんなにも心待ちにしているのだということを、彼女は知らないだろう。
「失礼します」
凛とした声が響いた。極夜は「ああ」とだけ答える。
本当は「待っていた!」と叫び出したいくらいだが、もう二十年近くこういうふうに振る舞ってきたのだ。いまさら口下手は治らない。
音もなくふすまが開き、廊下に正座した鈴音が現れる。茶碗と、それから菓子が載った四方盆を前へすすめ、両手を畳の上につき、にじって部屋のなかへ入ってくる。
(……昔は可愛らしいと思っていたが、いまは)
艶のある真っすぐな黒い髪の毛はうしろでひとまとめにしてある。目鼻立ちはバランスがよく、唇はいつだってみずみずしい。
極夜は鈴音の美しさにいつも見とれる。今日の菓子がなんなのかということよりも、彼女の美貌を眺めることのほうが一興だ。
極夜は差し出された菓子と茶を口に入れる。そのあいだ、部屋は静まり返っていた。
(……なにか話さねば)
だがなにも思いつかない。
鈴音は目を伏せて部屋の隅に正座している。いつだったか、なぜ目を合わせないのだと勇気を振り絞って尋ねると、母親から「身分の高いお方の目をじいっと見つめてはいけない」と注意を受けたと言っていた。
(なぜ俺はあのとき――そんなこと気にするなと言わなかったのだろう)
彼女が目も合わせてくれないのが悲しい。面白おかしい話でもして笑わせたいのに、頭のなかは鈴音が今日も美しいということばかりで話題が浮かばない。じつにふがいない。