双鬼と紅の戯曲 ~君主は秘かに専属侍女を愛でる~ 《 第二章 01

 暁国二の姫、椿《つばき》はむくれ顔で手綱を取っていた。

「素性も知れぬ相手となんて、私は絶対に結婚しないからね!」

 並走する従者に向かって声を張り上げる。従者の瀧《たき》は椿に負けぬ大声で言葉を返す。

「素性は知れていますよ! 紅国の君主です! 案外、一目惚れするかもしれませんよっ」
「――っ、まさか!」

 椿は憤然とそう言って馬をたきつける。
 暁城《あかつきじょう》の古株たちに強く推されて出てきたものの、椿は紅国の君主と結婚する気はなかった。まして、瀧が言うように「一目惚れ」するなど絶対にありえない。

(まぁ、ほかに好きな人がいるわけじゃないけど)

 それでも、城の古狸たちの思惑どおり政略結婚するのは癪《しゃく》だ。

(とにかく、紅の城に行ったという事実があればいいのよ)

 そのあとは「紅の王には気に入られなかった」とでも言って暁の城に戻ればよいのだ。
 椿は「うん、うん」と小さくつぶやきながら天を仰いだ。
 空は雲一つなく、遠くまで限りなく澄んだ青が広がっている。
 馬上で受ける風は爽やかで、暑すぎず寒すぎず、ほどよい気候だ。
 まわりが勝手に決めた婚約相手に会いに行くのは億劫だが、こうして天気のよい日にみずから馬を走らせるのは気分がいい。小旅行と思えば悪くない。
 椿は満面の笑みになって片足で愛馬を優しくまくし立て、スピードを上げる。

「ちょっと、姫様! 速すぎますよっ」
「あなたが遅いのよ!」

 大きく息を吸い込み、長く吐き出しながらぐるりとあたりを見まわす。なにか新しい発見はないかと、心を躍らせながら。

「――あっ、見て! 茶屋があるわ。寄りましょう」
「はぁ!?」

 瓦屋根の小さな建物だ。『茶屋』と大きく書かれたのれんが見える。
 椿は茶屋のすぐそばの木陰で馬をとめた。

「だってお腹が空いたわ。ほら、おいしいお団子ありますって書いてある。お客さんもとても多いわ。きっと本当においしいのよ」

 木の幹に手綱を預けて茶屋へ向かって駆け出すと、従者の瀧は「はぁぁ」と盛大でわざとらしいため息をついた。

「本当……姫さまは姫さまらしくないですよね」
「失礼ね、どういう意味よ!」

 たしかに、普通の姫は一人で馬には乗らないし町はずれの茶屋に寄ることもないのだろう。
 だが馬に乗るのは楽しいしお腹が空けば団子を食べたくなる。それの何がいけないというのだ。

「じゃあ瀧はここで待っていて。私だけでおいしいお団子を食べてくるわ!」
「いっ、行きますっ」

 きびすを返して茶屋へ向かう椿を、瀧はあわてたようすで追いかける。

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