「さ、行こう」
「え? あ、あの」
手首をつかまれ強引に立たされる。瀧は苦笑いを浮かべながらも鈴音の手を引いて桜の庭を歩いた。
ひときわ大きな桜の木の前までくると、瀧は両手を胸の前に合わせて「申し訳ございません」と謝ったあとで鈴音に耳打ちする。
「じつは、姫さまから言いつけられておりまして……。あなたに言い寄るふりをして極夜さまを煽れ、と」
「ええっ!?」
ふたりはごく近い距離で内緒話をする。
「どういうことですか?」
「姫さまはまだ結婚する気はないのです。それに、どうやら弟君――白夜さまをお気に召されたようで」
「そう、なのですか……」
しかしまだ安心はできない。極夜が椿を気に入って、強引に結婚を進めてしまう可能性もある。
(だ、だからっ……! 私ったらどうしてこうなの)
結局のところ、極夜にほかの女性と結婚してほしくないと思っている。それが、正直な気持ちなのだ。
自分の心の狭さに愕然としていると、急に体をうしろへ引っ張られた。
「――っ、極夜さま!?」
いつの間にそこへ来ていたのか、極夜に体を抱き込まれる恰好になっていた。
向かいにいた瀧の顔が青ざめた。極夜はよほど恐ろしい形相をしていたのだろう。
「どど、どうぞ鈴音さんとごゆっくり! 僕の話は終わりましたから!」
瀧はそう言い捨てて、逃げるように去っていった。
「……あの男となにを話していた?」
低くかすれた声だった。怒気を含んでいるのがわかる。
「あの方は……椿姫さまに言われたそうなのです。私を連れ出して……その……極夜さまを煽れ――と」
そう言ったあとで鈴音は彼のほうを振り返った。
(でも、煽るって……どういうこと?)
鈴音は首を傾げて極夜を見上げる。すると極夜の頬がみるみるうちに赤くなっていった。
「――きゃっ!」
甲高い声とともに、向かいの桜の木から椿姫が踊り出る。そのあとを追って白夜も姿を現し、転びそうになっていた椿の腕と腰をつかんで支えた。
「椿姫さま、それに白夜さまも……!?」
そこでいったいなにをしていたのだろう。
「いやぁ……はは。ふたりのようすが気になっちゃって――って、ちょっと極夜!」
極夜はきびすを返して歩き出してしまった。
「ああ、あれは……アレだね。恥ずかしくて逃げたね」
白夜は続けて言う。
「ほら、鈴音。追いかけて!」
鈴音はわけがわからず目を見張る。
「好きなんでしょ、極夜のこと。だったら追いかけるんだ」
「鈴音さん、頑張って!」
今日はじめて会ったばかりの椿にまで応援されてしまった。